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恋川春町

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恋川春町 画

この画は
字と絵が一体となり画で情報を、そして字で視覚表現を
まるで現代の、ビデオで静止画を撮り、デジカメで動画を撮るような境目の無さ
絵だけ、字だけにこだわらず、
伝えることに重点をおいた、浮世絵とは少し異なるジャンル、黄表紙本


黄表紙本というのをご存知でしょうか

これは江戸時代の後期に流行った流行画

歌麿や北斎などは有名ですが、
もっとこう庶民に浸透していた今で言う漫画です
それも分野としては週刊誌や新聞に載ってるような感じの漫画ですかね
コボちゃん的な位置付け

この恋川さんは、
「黄表紙」という分野の第一人者で、
ジャンルを開拓し、一躍売れっ子になった人です

時代のものをみるときに、整斉とつくられた本よりも、
その時代時代を風刺した、庶民にねざしたもの、
誤解を恐れずいうと、下世話なもののほうがその時代を感じられることがあります

恋川さんが下世話といっているわけではないのです
時代を超えて良いものは求められ、未来に残ってゆき、
今現在ある絵画も彫刻もそのときどきの流行も反映されているところがあるのですが、
このジャンル(黄表紙本)は特に、そこが顕著にあらわれている

そして、恋川さんの面白みは、
画と文字が一体化し、その文字を含めて「画」であるというところです

わたしがこの時代で一番好きな作家は耳鳥斎(じちょうさい)です
上方・大阪の芸術そのものが美術史から外されてしまい、
そのために昔は北斎と並び称されるほどの人気があったらしいといわれているのですが、
知名度的には語り継がれず、北斎とは現代の認知度にかなりの差がでました

北斎も素晴らしいのですが、わたしは耳鳥斎の「ものの見方」
これに赤べこのようにうなづくのです

「美の巨人たち」で放映した部分 → 『耳鳥斎 別世界巻

関連記事
耳鳥斎(じちょうさい)の地獄
耳鳥斎の地獄絵巻

市井に生きて時事を表現した人に惹かれます



さて、恋川春町ですが、
江戸時代中期の劇作家で、浮世絵なども学んでおります

代表作
『金々先生栄花夢』
『高慢斎行脚日記』
『鸚鵡返文武二道』
など…

この春町さんはひとつを極めて我が道を行く…というタイプではなかったようです
作品をみるといろんな物や人とセッションしています
受け入れ間口が広く、柔軟性がある
そして「時代」というものをなんともよく捉えている作品を残されています

巨匠としてあがめられてはいないかもしれませんが、
みていて本当に興味が尽きず、面白い

江戸時代も長いですからね
前期中期後期ではそれぞれ世相が異なるのは当然で、
それは歴史として学びますね

ですが、歴史の本や、学校ではおしえてくれないこと
それがこの方の画から感じ取れるかもしれません


あとですね、
余談のようで重要な部分
このペンネームが好きなのです

恋川春町(こいかわ はるまち)

いかしてる
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青鬼の褌を洗う女

坂口安吾の中で
自分に一番響く小説です



匂いって何だろう?
私は近頃人の話をきいていても、
言葉を鼻で嗅ぐようになった。
ああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだ。
つまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、
匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。
私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している。
私がだんだん母に似てきたのだ。
あ、また――私は母を発見するたびにすくんでしまう。
私の母は戦争の時に焼けて死んだ。
私たちは元々どうせバラバラの人間なんだから、
逃げる時だっていつのまにやらバラバラになるのは自然で、
私はもう母と一緒でないということに気がついたときも、
はぐれたとも、母はどっちへ逃げたろうとも考えず、
ああ、そうかとも思わなかった。
つまり、母がいないなという当然さを意識しただけにすぎない。
私は元々一人ぽっちだったのだ。




坂口安吾は
母という存在を憎み、誰よりも欲している
彼の書くものの、はしばしすべて
幼いときにあたえられるべき愛情をもらわなかったこと
それをこの人は断ち切らずに堕ちきって見つめる

常々この人の強さはどこからくるのだろうと考えていた

とても短絡的な結論をいうと、この人は「ただ、生きる」ということだけなのだけど


負の輪廻というものがあるならば
それを断ち切るのは花しかないのではと自分は思う

おしみない愛情をあたえてくれる
無条件に愛してくれる
その多くは、まず肉親から感じ学ぶのだろう

そこを飛ばした場合、
自分の人生を歩むために自分でコアをつくってゆく
だから引き戻るし、弱弱しい
少しの風に飛ばされる
作った核がそげる時がある
過去の想いにも囚われる
いつでも正しい光の中で顔をあげているだけの皮膚が無い
眩しい光が皮膚にヒリヒリ痛みを与える
核がないのだから
核をこれから作るのだから

そして惜しみない愛情を注ぐ対象を産み出しみつけ、または出会い、
自分が注がれなかった愛を他者に注げた時
輪廻を断ち切るための花が咲くのだと自分は思うのだ

自分は血は濃いものだと感じたことは無い
しかし何かに囚われてはいる
こんなことを考える時点で囚われているのだ
血など誰にでも分け与えられる
その「血」というものに価値を見出すのならば、
血など誰にでも分け与えることができるものだ
だから愛情も、誰にでも注げるのだと思う
自分の肉親である大事な人に
肉親ではなくとも大切な人に


というものを信じている

自分を支えてきたものは確かにこれだった
そしてこれからもそうだろう

輪廻は断ち切れたのか
それは終わらないとわからない


安吾のいう、死

死んだ先はなにもない
死んだらそこでおしまいだ
だからわたしは幽霊が嫌いだ
死んでも生きてるなんて、そんな幽霊は嫌いだよ

と、安吾はいう
わたしもそう思う


だから生きるのだ
生きてる間は生きるのだ
自分の裁量で生き、
諦めたのかと思いきや、
何一つ諦めないこの人の
強い強い生、そして厳しい生き方がとても好きだ
そして死んだらそこまでだ
死んだらなにも無い
死にも生にも意味なんてなく、ただ、「そういうもの」なだけだ、というところが好きだ
世間の正しさでなんて生きてはいない
倫理や体裁からはずれいていも強い
人が認める正しさで生きてはいない
それでも生きるのだ

この感情は憧れなどではない
愛しい

この人から感じる強さ
堕ちれば堕ちるほどに
堕落してそこからが本番だという強さ
それでも併せ持つファルスに
理屈や倫理などなにも響かないことを実感する


花を咲かすことができただろうか
自分は今でも咲いているか

時間がたって過去を振り返れば
死の間際、人生の終わりに
今この時は花が咲いているだろうか

退屈な風景をみているだろうか

わからないまま今はただ
その道を歩いている


「青鬼の褌を洗う女」
初老の男、久須美とその愛人のサチ子
久須美の魂の孤独をみてとり、優しい、そして冷酷な彼の孤独をサチ子はわかっている
自分の存在も孤独な彼を独りにしないものではない
「私の可愛いいオジイサン、サンタクロース」
「私の可愛いい子供、可愛いいアイスクリーム、可愛いいチッちゃな白い靴」
孤独のまま、わかりあう必要はなく
ただそこに存在しているお互いをみて
ふたりはこう呼び合う


私はだから知っている。彼の魂は孤独だから、彼の魂は冷酷なのだ。
「まだ眠むっちゃ、いや」
「なぜ」
「私が、まだ、ねむれないのですもの」
久須美は我慢して、起きあがる。
もうこらえ性がなくて、横になると眠るから、
起きて坐って私の顔を見ているけれども、
やがて、コクリコクリやりだす。
私は腕をのばして彼の膝をゆさぶる。びっくりして目をさます。
そして私がニッコリ下から彼を見上げて笑っているのを見出す。
私は彼がうたたねを乱される苦しさよりも、
そのとき見出す私のニッコリした顔が彼の心を充たしていることを知っている。
「まだ、ねむれないのか」
私は頷く。
「私はどれぐらいウトウトしたのかな」
「二十分ぐらい」
「二十分か。二分かと思ったがなア。君は何を考えていたね」
「何も考えていない」
「何か考えたろう」
「ただ見ていた」
「何を」
「あなたを」
彼は再びコクリコクリやりだす。私はそれをただ見ている。
彼はいつ目覚めても私のニッコリ笑っている顔だけしか見ることができないだろう。
なぜなら、私はただニッコリ笑いながら、彼を見つめているだけなのだから。
このまま、どこへでも、行くがいい。私は知らない。地獄へでも。
私の男がやがて赤鬼青鬼でも、
私はやっぱり媚をふくめていつもニッコリその顔を見つめているだけだろう。

私はだんだん考えることがなくなって行く、頭がカラになって行く、
ただ見つめ、媚をふくめてニッコリ見つめている、私はそれすらも意識することが少くなって行く。
「秋になったら、旅行しよう」
「ええ」
「どこへ行く?」
「どこへでも」
「たよりない返事だな」
「知らないのですもの。びっくりするところへつれて行ってね」
彼は頷く。
そしてまたコクリコクリやりだす。

私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。
私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。
青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。
カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。
私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。
私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。

すべてが、なんて退屈だろう。
しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。



サチ子は愛を信じているわけではないが、なつかしく退屈な風景をみている

自分は愛を信じているが、今の場所からここにたどり着きたいと思う


青鬼の褌を洗う光景を
ただ生きて、そして最後に
なつかしく思い出す

今のこともなつかしく
そして退屈に
思い出すだろう


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太陽はいつも雲の上に

三浦綾子記念文学館
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敬愛する三浦綾子さんの文学館は氷点の舞台となった見本林の入り口に佇んでいる

わたしが初めて三浦さんの小説を読んだのは小学3年生の時
「太陽はいつも雲の上に」
これは三浦光世さんと三浦綾子さんのご夫婦で執筆されたエッセイ
関連記事「三浦綾子さんについて

9歳の頃
わたしは小さな頭で
いろいろ考えていることがあった

当時わたしの母は心臓病で、入退院を繰り返していた
後天性の弁膜症を発症した原因は出産時のリウマチ治療が適切でなかったからだ
ごはんをつくり、掃除をし、弟の面倒をみながら、
小さな頭は、自分を妊娠していた時にかかった病気で母が現在病気になっていることを考えていた

口にはしないが頭の奥底でいつもいつも思っていた
当時は身体障害認定もされていなかったので医療費も多くかかる
奇しくも家庭の財布をあずけられたため、経済状況はなんとなくわかっていた
わがままを言うこともなく親に甘えることもなく
これが当たり前の状態だと思ってきたのは負い目があったからだと
いまは思う
あの頃はいつもそんなことを考えていた

そんな中で出会ったのがこの「太陽はいつも雲の上に」

三浦さんは敬虔なクリスチャンで彼女の小説はいろんな小説があるが
大きく共通したテーマがある
それは原罪
キリスト教のテーマでもあると思う原罪

原罪というのは生まれたときから背負っている罪のこと
生まれた瞬間からなにも知らない赤子も背負っているという
わたしはこの考えには納得できないし、共感することもないけれど
厳しい戒律を守って敬虔に人生をおくられた三浦綾子さんを尊敬してやまない

「太陽はいつも雲の上に」の中で、病気についてかかれている部分がある
三浦さんは
脊椎カリエスを患って13年間闘病生活をしたのは
わたしはその試練に耐えられると、選ばれたからだ、というのです

読んだときは、どうして選ばれたのが母で
わたしではなかったんだろう
そう考えた
小さな頭は大人の真似事を強制的にやっていても世界が狭くて
なかなか考えていることから抜け出せない
あの頃の自分は雲の下にいて
その上に太陽がある、と思えていなかった

この想いが本を読んで一気に解消される、
そんなことは起こらない
それからもずっと考えていた
ただ変わったのは厚い雲に覆われている隙間から光が漏れるということに気づいたことだ
10代で母が死んだ時も思い出すのはこの本だった
太陽は、いつも雲の上にあるんだろう
哀しいまま虚しいまま
それでも自分を支えたのはこの本だと思う
節目節目にふと思い出す

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窓からみえる景色
寒そうで美しい
太陽ははっきり見えない
肌で感じることもこの季節あまりない
それでも太陽はいるんだろう
あの厚い雲の上に

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見本林の松の幹にリスの巣箱がみえる
厳しい冬の優しい風景


この日
三浦光世さんにお会いすることができた

自分がお二人のファンであること
小学3年のときに初めて著書を読んで、その後ずっと読み続けたこと
「太陽はいつも雲の上に」を読んで心が支えられたこと
伝えられた
感激

文学館にはいり、他の方とお話されていた光世さんは、
帰り際、ふとわたしに視線を向け
優しい笑顔で話しかけてくれた
88歳になられた光世さんは背筋がピンとしてまっすぐわたしの目をみてお話をされた
にこやかな口元から静かで、でもはっきりと柔らかい声でお話される
じっとみつめるのに刺さらない
光世さんはこの眼差しで三浦綾子さんをみつめていたのだろう
雨の日も風の日も雪の日も
いつも雲の上にある太陽のように


外にでると天気はくもり

厚い雲が覆った空から筋ではない光がはいる
雲の上の太陽が隠しきれない光を
覆われた向こうから放っている
空からは雪がはらはら舞い落ちてきた

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| 小説 | 15:25 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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有島武郎 2/2

有島武郎 1/2 』の続きです


彼の小説はほとんどが私小説
つまり実際にあったこと、自分が経験したこと、
または誰かの経験をみて思ったことがほとんど

ここも彼の作品評価において賛否が分かれたところであるのですが、
小説というのは虚でもドリームでもいい世界
なんにしろ創作はそういったものだと思います

しかし彼は書かないのです
まったくの「虚」は書かない

それは体験してないことがわからない、や
語れない、といったこともあるし、
虚を表現することは彼にとっては「嘘」だから

彼の小説の中に「小さき者へ」というのがあります
これは実際彼の子供たちへあてた文であり、
彼の奥さんである子供たちのお母様が亡くなったときに書いた、
子供たちへの覚悟の文章なのです

冒頭の一文がこれです
>「お前たちは去年、一人の、たつた一人のママを永久に失つてしまつた。
>お前たちは生まれると間もなく、
>生命に一番大事な養分を奪はれてしまつたのだ。
>お前たちの人生は既に暗いのだ」。

人は誰かを勇気付けたり、元気付けるときに
「大丈夫」という言葉を使う
それはわたしはいいことだと思っている

生きていれば先はいつでも何があるかわからない
大丈夫かもしれないし、大丈夫ではないかもしれない
そんなことはその時点ではわからない
立っている時点では
わからなくても、大丈夫ということが気休めになるときもあります

でも有島はそんなとき、
これからあるだろう苦難の道を説く
あるかも知れない可能性を説く
悲観ではなく、その覚悟を説く
そして現在たっている自分の状況を説く
不用意に大丈夫といってそれが大丈夫でない場合がもちろんある
だから言わない、言えない

自分の子供たちは今、悲しみにうちひがれているときだろうに
それを説くのです

それはどんなに辛いことだろう
しかし愛する子供たちに「虚」は教えない

ここで慰めるのも優しさだし、
そうせず有島の方法をとるのも優しさだと思う
虚でも優しい言葉がほしいときがある
それに慰められて今後生きる力になるときもある

しかし有島はそれを選ばない
この自分の中の誠実さ
辛くてもそこを貫くためには逃げられない有島の誠実さと
他人に対する優しさが彼を現世に生き難くしていたと思う

有島は決して勝手な人間ではないです
その活動をみればどれだけ他に尽くそうとしているかわかります

でも自分の誠実さを押し通して、他人に傷を与える場合がある
ここもアンビバレンツです
有島はそれをしっかと認識し、逃げずに見つめ、
自分もその傷を背負うのです

この、地球を救いたいという思いは、キリスト教で矛盾する
もともと宗教とはなんらかの矛盾を含んでいるが、
彼が傾倒したキリスト教も彼の中の矛盾を大きくするものだった
ここは省略しますが、
一度はその宗教に傾倒しており、後に離れたキリスト教

キリスト教では自殺はご法度、姦淫もご法度
しかし有島は、
十戒に含まれている禁をふたつも犯しています

これだけ誠実な彼がその訓えにそむき最期を選択したことに
大変深い意味があるとわたしは思う

後に心中する秋子との出会いで、彼は秋子に想いを寄せるようになります
このとき有島は奥様を亡くされてますが、秋子には伴侶が居る
ここまでのひととなりで
有島がどんな想いで秋子に自分の胸の内を告げたのか
その覚悟は想像に難くないです

誰かを愛して愛して愛しぬいた、という作家では、
わたしは高村光太郎と有島武郎をいつも思い浮かべますが、
このふたりは実はとても違う

高村はちえこの器が必要であり、
ちえこ自身にものすごい自分の理想を投影をしていた
彼のように愛されるには、ちえこの力が必要なのです
彼はちえこの人格というよりも、
ちえこの器を愛していたようにわたしは感じます
でも愛していたと感じます
ただ千恵子のように愛されることは辛く感じることもあるかもしれない

高村は静かな狂気であり、
なんて自分勝手な男だと
しかし、ちえこを愛していた、可愛がっていたのは真実
そしてそれをちえこは受け止めることができた

高村光太郎観についての過去記事 
ぼろぼろのじちょうかちょう ~放浪記5~


有島は、自己陶酔ではないのです
秋子の魂を愛し、そして秋子を無理に奪うようなことはしない
しかし、自分の気持ちを伝え、
すべてを捨てても秋子を受け入れたいと告げる

大学時代、ただの友達と心中しようとした有島の言葉には
口だけではない実像がある
全身全霊を賭けた、秋子への想いに同化し、
一緒に死を選ぶこととなります


しかし
この死さえも悲観ではないのです

有島は矛盾を抱えたまま生き続けて、
自分を解き放てる場所、相手、その答えを探していました
解放
自分の魂を解放し、生まれ出悩みを還す場所
それが秋子であり、
あの最期の場所に選んだ軽井沢の浄月荘なのです

有島武郎終焉地碑

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(画像はnadaさんからお借りしました)


この写真をみたときに、
自分の中で書けなかった部分がぶわっとあふれ出ました

この地を選んだんだ
自分の魂に寄り添ってくれる相手を見つけて、この地を選んだんだ

死にたい、生きるのが辛い
そういうのではない

魂を解放する場所に…
ここを選んだんだ…

と、そんな思いがわきあがりました


彼の遺書にはこう書いてあります

「…僕はこの挙を少しも悔ゐず唯十全の満足の中にある。
 秋子も亦同様。…
 山荘の夜は一時を過ぎた。
 雨がひどく降ってゐる。
 私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら
 最後のいとなみをしてゐる。
 森厳だとか悲壮だとかいへばいへる光景だが、
 実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
 愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった。
 恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。」

わたしはこの遺書の、「秋子も亦同様」と言い切れる部分に、
特に感じるものがあります
関連記事「亦同様

彼は還っていったのです
自分の魂が、自分の魂のままでいられる、
戯れる幼子に
愛するものと一緒に

彼らの死骸は確かに腐乱し、6月のはじめにこの遺書を残し逝ってから
約一ヵ月後に発見されています
情死
と言われますが、わたしは解放だと思っています

それは人それぞれ感じるのでしょう
これを姦淫して自殺
ととる人ももちろんいるでしょう
わたしは、解放だと思います

そして彼のことを思うと涙が出るのに、悲しくはないのです
この涙は説明はできません
ただ悲しくはない

有島のような生き方をしたいとか
有島にシンパシーを感じているわけでもない
わたしと有島は遠いところにある

でも
いつも彼のことを考えると悲しくない涙が出ます



この記事を書くにあたって、リクエスト(しかも半年くらい前の)に応えて
現地の写真を提供してくださったnadaさんに感謝の意を表します
本当にありがとうございました

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有島武郎 1/2

有島武郎 前哨 』 (リンクあり)


あのときは書くことができなかった有島を今は書ける気がする
師匠、ありがとうございました


有島武郎
以前に何回かとりあげているが、
明治から昭和の初期に執筆活動をしていた
「しらかば派」に属していた作家である
その他にもニセコの地で農場開放の活動などを精力的に行っていた

有島のキーワードは「解放(開放)」
そして本人の魂は「誠実」だ

関連記事 → 『武者小路実篤
       → 『牛肉と馬鈴薯 国木田独歩について私感


この頃の作家というのは縦に横に、本当に縦横無尽に繋がっている
武者小路については同じ「しらかば」の同志、
国木田独歩については友人であり、
国木田の恋愛の顛末にヒントを得て「或る女」などを執筆している


彼のおおまかな略歴(wiki抜粋)

・東京小石川(現・文京区)に旧薩摩藩士で、大蔵官僚の有島武の子として生まれる
・10歳で学習院予備科に入学し、19歳で学習院中等全科を卒業
・その後、札幌農学校に入学
・教授に新渡戸稲造がおり関わりがある
1901年にキリスト教に入信する
・農業学校卒業後に軍隊生活を送り、その後渡米
・ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒
・さらにヨーロッパにも渡り、1907年帰国
・このころ信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れることになる
・帰国後は、弟の生馬を通じて志賀直哉、武者小路実篤らと出会い同人誌『白樺』に参加
・『かんかん虫』『お末の死』などを発表し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した
・代表作:『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』など
・1922年、『宣言一つ』を発表し、北海道 狩太村(現在のニセコ)の有島農場を開放
・1923年、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、恋愛感情を抱く
(当時有島は既に妻に先立たれていた)
・しかし秋子の夫に知られるところとなり、脅迫を受けて苦しむことになる

そして6月9日、
二人は軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死心中を遂げる



これより書き連ねる有島については、
この赤くなっている文字の部分、
ここに重点をおいて書いてゆきます

ニセコの有島記念館、そして彼の作品、
彼を語る同志しらかばの文豪たちの書簡、
彼の残した遺書…
などから、わたしが感じたこと
そのターニングポイントと思われる部分が赤で抜いたところです


前回自分が書いた、『有島武郎 前哨』の一文より

>誠実に自分の信念に殉職した作家は他にもいるが、
>有島の魂の浄化についてはまた意味がかなり違っていると思う。
>それを、今、朝、ぽっとででは書けない。


そう、書けなかった
それは有島の農場があった、
有島の「解放」(農場においては開放)をかけた地、
「北海道・ニセコ」
そこに建ってる有島記念館だけをみて、
有島の生涯を追いはしたが、
何かが足りなかったからだ

それは有島の終焉

有島は死して後悔をまったくしていない
この魂の解放こそが有島が求めていたものだと思う
その魂を解放した地
そこに触れずして有島を考えられるだろうか…
という思いが自分の中にあったからだ
もちろん、その地を訪れなければいけない…というわけではなく、
その魂に「触れる」こと
感じることができれば、自分の中の堰が切れる、と思っていた

このたび、nadaさん (リンクあり)のはからいにより、
その地を見ることができた
この終焉の地をみてわたしの中の有島はひとつの区切りをみる


まず、最初の赤い部分
有島はかなり上流階級の生まれである

このとき時勢としては
プロレタリアート文学(代表としては小林多喜二)や、
社会主義的な考えが世の趨勢をも左右するひとつの雷であった
貧富の差や、ブルジョア階級に対する批判などを受けるにも
批判する側にもそれぞれ言い分や立場があろうが、
その恩恵はきっちり受けてきた人物だ

留学もしているし、皇族にも知り合いがいるという、
言うなれば成金でない金持ちの家に生まれ、
由緒正しい血統を併せ持っていた
この立場がまた彼を苦悩させる
ひとつの先天的要因だったのではないか

彼は後に「しらかば派」と呼ばれる人々と交流するようになる
(白樺とは雑誌の名前であり、派閥の名前ではないが、
後世、このように称されることが一般的になる)
この代表格として志賀直哉、武者小路実篤などだが、
この人達はみな上流階級の者たち

ここで掲げる信念は「理想主義」と言われるもので、
実際世相にあってない夢物語を当時は語っていたわけだ

つまり下世話にいうとですね、
ボンボンがなに言ってやがる、と
おまえらそんな立場だから悠長なこと言ってられるんだろ?
的な批判を受けるわけですよ

実際、育ちがいいんです
留学もしてますしね
当時のレートで日本円と外国の貨幣の通貨レートを考えると
留学なんてなかなかできるもんでもないわけです

「しらかば」は上流階級の集まりで、
そういう者しかなかなか踏み入れないサロンであったし、
その思想も万人が幸せになれるか?と問えば、
今この状況で?
世界情勢で?
日本の状態で?
と考えると、まさしく「理想」主義
理想だけ語って、実際に即してない部分があったのです

そこに動じず、90歳で他界するまでそれを貫いたのが武者小路実篤で、
そこに苦悩し、いろんなことに誠実でいたいが矛盾に苦しんだのが有島です

武者先生については『武者小路実篤 』にて!


有島の誠実さについてはかなり顕著なエピソードがあります

彼は大学時代に男性の友人と
一緒に心中しようとしたことがあります

その友人はいろいろ悩んでいることがあり、
生と死の狭間でゆれてた時期もあり、
有島はその友人と同化しようとします

優しさと云うのはね、
万人に優しいと云うのは
誰にも優しくない、ということでもあるのです

有島はこの友人がいった言葉、
「君との友情を大事にするために、他の連中を切っている」
これをあまりにまっすぐ受け止めました
この友人のために自分は居るという存在を示したわけです

それがいいかどうか、そういう問題ではないのですね
有島は自分に誠実すぎて、
自分の中の矛盾を見てみぬ振りができない
もっと上手くつきあえば…と思った人もいたでしょう
妥協も必要だと思う人も
しかし有島本人が自分自身を許せなく、
こういう示し方をするのです

つまり彼の中で、
この友人に自分の誠意を示すためには
この方法しか納得できなかったのでしょう

実際にはその時、この友人とは死んでませんし、
他の人ともその後は交流があります

ただこの時に、この友人が求めていたもの、
それを自分の命がどうであろうと与えたいと思っていた
他のものを省みず、おまえだけのために俺は居る、と
そういう誠実さが作品にも如実に表れていると思います



長いので続きます


次は作品についてと有島の最期

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家畜人ヤプー(再)

この長い小説を
また少し読み返している

「正しい」と主張することは
なにゆえに「わざわざ」主張するのかと考えれば
それに反する、相対するものが存在するからだろう

なんでもそうであるが
当たり前すぎることは意識の上にものぼらない
自由であることは
本当に自由なモノはそんなこと考えもしない
気にしない
と言ったときには既に気になっている

立場や主義主張を唱えるときは大きく何かを意識している
ザ・コーヴに関する資料を読み
なぜだか
この小説を読み返したくなった
三島が傾倒したのも、なんとなくうなづける気がした

おそるべく主張しないこの小説は
その世界観が当たり前過ぎるほどに当たり前で
なんの言い訳もしないわけだ
補足しないわけだ
これをリメイクした作家さんには
その作家さんの「観」が入る
なんという試金石だろう

以下、以前に書いたもの抜粋
------------------------------------------------------------

ヤプーは石ノ森先生の漫画では読んでいた
小説は初
長い
なぜにこんなに長くなるのか
それは、描写にある

実はこの題材、まったくもって漫画向きなのだ
特異なその世界観や、ヤプーの生態、形状を現すのに膨大な情報量が要る
ヤプーの形状、その異形をみてとるには視覚が一発である
それでもあえて、小説で読んでみると、
文章であらわすことにとんでもない意義があると改めて思った

人のイメージはどのようにして成るか
今までの経験則や、実際に目で捉えたことがあるもの、
その様々な蓄積されたデータにより頭に浮かぶイメージ
これを実は誰かの視覚で捉えることは、自分のイメージになりえないのだ
先に漫画を読んでいたことをとても残念に思った
わたしはどうしても石ノ森先生の視覚で捉えてしまう
これは読まなければよかったではなく、
後から読んだほうが「楽しめた」という意味合いである

その後、江川達也氏のヤプーも読んだ
うーんなるほど
やっぱり初読みは原作
それからいろんな作品を見るのは、その作家の観をみるということだ

なので、この小説においては、
小説のファンだからという視点ではわたしは他の人が描いた作品をみない
他の人が描いた、その人自身にわたしが興味がある場合、面白い試金石になる
それが「家畜人ヤプー」という小説、題材だと思う

最初に書いた意義とは
わたしは台詞のおおい小説はあまり好まない
ライトノベルも読むが(首藤剛さんあたりはかなり好き)
なんであまり読まないかというと説明しすぎなんだよ
人間がさ、人間と話すとき、あんなに説明するか?
表情や仕草でわかることがある
それは小説では確かに表現しにくい
だからこそ、このヤプーは漫画向きな題材だと書いた
しかしながら、そこをあえて表現し、作者に提供されながらも
作者に染められないイメージを持つことができる
そのト書きにより、表現により、視覚でない情報をもらって視覚のイメージを頭に浮かべる
台詞を書きすぎると、想像力が欠如する
と思う
自分はそうです
ということを改めて認識する本当に面白い題材だと思った

けど、明るい気分にゃならないね
特に日本人ならね


※ 追記

なぜ「家畜人ヤプー」を禁忌と感じるか
それは倫理観がないからです

人間の尊厳とか、倫理観を扱った作品は他にもあり、
その中で目を覆うような描写も間々あります

例えば、森村誠一氏の「悪魔の飽食731部隊」なども
人間を人間として扱っていない類のテーマを扱った作品ですし、
アウシュビッツの関連などもそうでしょう

それでも、その中にこれは人の道に背いている…という
倫理観が前提にあり、その中で非人道的な描写があるわけです
「倫理観」は存在しています

しかし、このヤプーは
そういったものがないのです

人間は他の生命を摂取しなければ生命維持できない動物ですが、
果たして「家畜」そのものに感情移入をするか

見せ掛けの感情移入ではなく、本当に心底そう思うなら人類は餓死するしかない
そのヒエラルキーの上位に位置するものが下のものに向ける目
そこに感情をいれるわけにはいかないのです生きるのならば

そして、漫画では少し倫理観を感じたのですが、
それはその作品を自分の中で表現した、石ノ森氏と江川さんの倫理観であると感じました
なぜなら小説にその「観」を感じられなかったから

この小説の中では
家畜=ヤプー=黄色人種=日本人

感情も知能も、言語の疎通もあるそういった人種が「家畜」である設定です
そこに今現在まかりとおっている「倫理観」がない

そういう意味で禁忌だと言いました

そして「面白い」とも

生理的嫌悪を感じる人もいるであろう、向き不向きががっつりわかれる小説だと思います


追記おわり



わたしにとってesというのはこわい映画にあがる
なぜあれが怖いかというと、自分もあのようになり
抗えないだろうことがわかるから

同じく倫理をぶち壊すものとしてヤプーをあげる
でもこれはぶち壊すというよりは取り込まれる

ただこれが読めるときは余裕があります

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どうしようもない恋のうた

この官能がすごい 2010大賞

草凪優:祥伝社文庫
「どうしようもない恋のうた」

官能小説といえば、
金閣寺の向かいに住んでいるという、
ミス京都と知り合いの名も知らぬあの方はお元気だろうか
関連記事→「京都迷宮案内


現代の官能もたまには読んでみよう


わたしが日本の作家で一番エロスを感じるのは泉鏡花
実際、一般的な分野わけでは官能小説とされていない
でも一番
手探りで中心に向かって遠くから
遠くだけをまさぐっていながらその振動のみが中心へ向かう
その感じがとてもエロスだ
泉鏡花について→「外科室


この、「どうしようもない恋のうた」
鏡花のような遠くから徐々に近づくか近づかないかわからない蜃気楼エロスとまったく対極
いやいや
最終決戦アルマゲドン的な迫力でした
普通に小説として面白かったです

ちゃんと一人の男の生き様を追いつつ、
その男から見た一人の女を描いてる

そして大切なのは、そうやってちゃんとした筋立てがあった上で、
多彩な性交シチュエーションが差し挟まって来ること
ストーリー上での必然性があり、
なおかつ
相手やシチュエーションにバリエーションがある

なんと言うか、ストーリーもちゃんとあった上で要所要所で戦闘シーンが入って来る

そう
濡れ場が戦闘シーンのよう
愛とはコリーダで恋とはどうしようもないのである

この闘いは
水面下で
もしくは霧の中で
はっきりと見えない搦め手で攻める情報戦ではなくて、
漫画でいうと~
ドラゴンボールみたいな
派手な戦闘シーンという趣

おもしろいですよ
後は好みですね

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なっちん

小説ネタがらみなのでこのカテゴリ

関連記事  →  『6月録


納音(なっちん)

干支というのは、下記の十干
・甲(きのえ)、乙(きのと)
・壬(みずのえ)、癸(みずのと)
・戊(つちのえ)、己(つちのと)
・丙(ひのえ)、丁(ひのと)
・庚(かのえ)、辛(かのと)

それと十二支
十の「干」と十二の「支」がと組み合わさるから「干」(え)「支」(と)となる

ちなみ十干の「きのえ」とか「きのと」についてる「え」は兄(え)のことであり、
「と」は弟(と)のこと

ゆえに12×5で自分の生まれた歴が60年に一回やってきて還暦となります

で、陰陽五行説
かなり簡単にいうと中国の思想なんだけど、
陰陽が「陰」と「陽」
五行が万物は五つの要素からなっているというもので
「木」「火」「土」「金」「水」
この要素を組み合わせて、卦をみたり季節から暦をつくったりしてたわけですね

そんでここで、
その干支と、陰陽五行説を組み合わせた納音というものができた

季節が運命を支配しているのは少なからずあると思います
あ、個人的な考えをいれちった
でも今いれとく
春には芽吹き、冬には枯れる
これは季節が生命を司っているということでもある、と
個人的見解終了

そういう運命というもの
生まれ年の干支をこの五行説などにあてはめてできたのが納音(なっちん)なんですよ

これは占い等に使うので、
わたしも詳しく入ってませんし、
あたるとかあたらないとかそんなことはどーでもよくてですね、
その運命を判断するためにつくられた分類のひとつ、山頭火を、
種田山頭火が俳号に使ってたって話につなげようとしたのです

やっと前置き終わってなっちん一覧

海中金 かいちゅうきん  甲子・乙丑
爐中火 ろちゅうか     丙寅・丁卯
大林木 たいりんぼく    戊辰・己巳
路傍土 ろぼうど      庚午・辛未
釼鋒金 じんぼうきん   壬申・癸酉
山頭火 さんとうか     甲戌・乙亥
潤下水 さんかすい    丙子・丁丑
城頭土 じょうとうど    戊寅・己卯
白鑞金 はくろうきん    庚辰・辛巳
楊柳木 ようりゅうぼく   壬午・癸未
井泉水 せいせんすい   甲申・乙酉
屋上土 おくじょうど    丙戌・丁亥
霹靂火 へきれきか    戊子・己丑
松柏木 しょうはくぼく   庚寅・辛卯
長流水 ちょうりゅうすい  壬辰・癸巳
沙中金 さちゅうきん    甲午・乙未
山下火 さんげか      丙申・丁酉
平地木 へいちぼく     戊戌・己亥
壁上土 へきじょうど    庚子・辛丑
金箔金 きんぱくきん   壬寅・癸卯
覆燈火 ふくとうか     甲辰・乙巳
天河水 てんがすい    丙午・丁未
大駅土 たいえきど    戊申・己酉
釵釧金 さいせんきん   庚戌・辛亥
桑柘木 そうしゃくもく   壬子・癸丑
大溪水 だいけいすい   甲寅・乙卯
沙中土 さちゅうど     丙辰・丁巳
天上火 てんじょうか    戊午・己未
柘榴木 ざくろぼく     庚申・辛酉
大海水 たいかいすい   壬戌・癸亥

以上30の分類に、それぞれ60の干支をふりわけている

※ 該当十二支を追記しました
例:甲(きのと)子(ねずみ)
【甲子園球場は甲(きのと)子(ねずみ)からきてます】
  前の字が十干で後ろの字が十二支を示しています
  自分の十二支をしらない人はあまりいないでしょうが、自分の十干を知らない場合はあると思います

  十二支→子、丑、寅、卯、辰、巳、牛、未、申、酉、戌、亥
  これが、十干の→甲、乙、壬、癸、戊、己、丙、丁、庚、辛
  と組み合わさって自分の干支(えと)となります

 わたしも調べているうちに12の支で10の干なら120種類あるんじゃないか?と疑問が湧いたのですが、
 よくよくみると、
 十二支をわりふったときの奇数に該当する十二支だけが兄(え)の年が巡ってきて、
 偶数だけが弟(と)の 年が巡るので、60種類なんですね
 これはわたしが調べた限りでは説明してあるところはなかったです

 最初の十二支だけで凡例を出すと、   
  子うまれは →甲、壬、戊、丙、庚、の5種類しかなく、
  次の年の丑生まれは→乙、癸、己、丁、辛の5種類しかないということです
  だから、
  奇数の十二支(6)×奇数の十干(5)+偶数の十二支(6)×偶数の十干(5)=60種類
  なので60年に一回、本当に自分の生まれた暦に還る
  これが還暦

  まーそういうことです
  自分の生まれた十干については西暦で調べたらすぐわかると思われます
  ちなみにわたしの納音(なっちん)は大駅土(たいえきど)


中身についてなんぞわたしもよく知りません
しかし、興味が出たときになんで「山頭火」なんだろうか…と調べたら
ここにいきついたということでして、
この中にもどっかこっかで見たことがあるような、
聞いたことがあるような響きがあることと思います

おそらくここから引用していて、
話によってはここの意味合いも含ませてる場合があるかもしれません

戊辰戦争の命名もこの干支からきているので年号の予想がつきやすいですね


ひとつひとつ引っ掛かりが出たときに興味をもって入ってゆくと
たまに面白いところへ出たり広がったりして
わたしは調べるのが好き
しかしなんの引っかかりもないところは全く以って調べない
もーどうでもいい
なんでもどうでもはよくなく、
なんでも執着するわけでない

そういうわけで「山頭火」
氏のおかげで役に立つかどうかはわかりませんが、
なんらかの知識は増えました
知らないことだらけの世の中です

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かなわない人

武者小路実篤について書くのはもう何回目か

関連記事
進め、進め
「牛肉と馬鈴薯 国木田独歩について私感 」
「真理先生 」
武者小路実篤


今までにも書いたことがあるのですが、
わたしがこの人に持つ気持ちは

かなわんなあ

です

ご高説は賜りません
大上段に何かを訴えてはいません
しかし
敵わないのです

今回は、
今までは少しだけ触れていたエピソードを詳しく紹介しつつ、
事実と憶測
そこからわたしが受ける武者小路実篤を書きます


画家、岸田劉生(きしだりゅうせい)とのエピソード
>顕著なエピソードがあります。
>白樺派ではないんですが岸田劉生という画家がいまして
>武者先生は彼を大変可愛がっていました。
>「麗子微笑」などが有名な方ですね。
>この人はかなりエキセントリックな人で、
>家族仲良く気分良く、道を歩いていたときに、
>打ち水が腕にちょっと掛かっただけでその部分を指し
>「俺の腕を切れ!」
>と叫びだす人で
>麗子ちゃんの肖像を描くときも、当時5歳の子供に
>休みも与えず、ずっと同じポーズを5時間もさせていたという逸話もあり、
>自分の才能を信じて、その創作に妥協しなかった人ですね。
>そういう人の周りはそりゃ大変だったと思います。奥様も麗子ちゃんも。
>友達もひとり去り、ふたり去りしていったときに、
>その才能を愛して援助を惜しまなかったのが武者小路実篤でありました。

「武者小路実篤」より抜粋


これのですね、この部分
>麗子ちゃんの肖像を描くときも、当時5歳の子供に
>休みも与えず、ずっと同じポーズを5時間もさせていたという逸話もあり、
>自分の才能を信じて、その創作に妥協しなかった人ですね。

このときに武者先生がいった言葉にわたしは、思わず笑い出し、うーんと唸ったのです


麗子像
o0180025010559257430.jpg
誰しもみかけたことがあるのではないでしょうか
教科書にも載ってますし

この麗子像は一枚だけでなく何枚もあります
繰り返し繰り返し、
愛娘の麗子ちゃんを描いている

前述したように、この岸田劉生(きしだりゅうせい)という画家は
自分の作品に妥協せず、
モデルである麗子ちゃんを5時間も6時間も同じ格好で
休憩もほどんどとらなかったというお話があります

この話を聞いてどう思いますか
・5歳の子供に酷なことだな
・芸術とはそういうものだ
ようような意見があるでしょう
実際、可哀想だ、と止めた者もいたのです

しかし岸田劉生は、抜粋したような部分も持ちますので、
人の意見を聞き入れて、自分の芸術を曲げる、ということはしませんでした
この人のもとから人が去っていくこともある中、
武者先生は援助し続けました

……

てね、
ちょっといい話がしたいってのとは違うんですよ
わたしが真に言いたいのはそこじゃない

武者先生は、
麗子ちゃんがモデルをやってる状況をきいて麗子ちゃんに
こう言ったんです

「麗子ちゃんはえらいなあ(^∇^)」

確かに!
えらい
えらいんですよ!


子供を産んで育てたか、
もしくは子供が生活の近くにいる、
仕事で子供と関わっている
などなど
子供と密接に関係すればするほど、
5歳の子供が5時間も休憩無しでじっとしている…ということを考えるに
すんごいことです
それも描いた肖像画は1枚や2枚ではない

じゃあどうして麗子ちゃんはじっとしていられたのか


こっからが憶測です
今までは事実

わたしには麗子ちゃんは、お父さんのことが大好きに思えるのです
絵を描くお父さんが
打ち込んでいるお父さんが
自分を描くお父さんが
そして、このモデルに誇りをもっていたように感じます

例えば、上記にあげたエキセントリックな行為から見て、
岸田劉生は激情しやすい人だった…
ゆえに恐怖や圧力でいうことを聞かせていた、と見る方もいるかもしれない

しかし恐怖だけでやっていたのならあの表情がでるのか
人が何かに耐えうるのは恐怖より誇りではないのか

5歳の子供
わたしは子供というのは、いろんなことがわかっていると思います
わかってない子もいますが、わかっている子はとんでもなくわかっています
自分は何も考えてなかった~という人は大変幸せなことですので親御さんに感謝してください

閑話休題
ですので5歳の子供をみくびってはいけない
それがどういうことか、自分の中の何がそうさせているか
そんなことは考えなくとも、
感じたり、真実にたどり着く子はいるのです

もし誇りをもってモデルをしていたのならば、
彼女は何を言われたら一番嬉しかっただろう

わたしは、武者先生の言葉だと思う

他の人達が言ってきた、
例えば、
・かわいそう
可哀想って失礼な話ですわ
当事者の想いを無視する可哀想は本当に余計なお世話

例えば、
・当然だ
自分が思うのはいいが、他人に言われたかぁ無えyo
おまえが5時間も休憩無しで座ってるわけじゃないだろーが!
って5歳のときに言えなくても
もやーんな気分になる

ここまで考えていた、までは憶測してません
でも、そのときに感じた「想い」は小さくても覚えているものではないか…と
わたしには思えます

「麗子ちゃんはえらいなあ」

これは、麗子ちゃんにとって、ほしかった言葉なんじゃないかなあ


武者先生は坊ちゃんであまり苦労してなくて
家も由緒正しくて、金にも困ってませんが
そういう人だから言える言葉や
そういう人だからやれる行動がある
こういうタイプの人に、「世の中っていうのはなあ~」と言われたら、
ボンボンがわかった風な事いいやがって( ゜д゜)、ペッとなりますが、
世の中のことをわかったように説教したりはしない
かといって、苦労してないことに引け目も感じない
この圧倒的な自己肯定は純粋培養でこその珠玉

武者先生は太陽みたいで、まぶしすぎることがあるけど
やっぱり人は太陽がないと生きてゆけないのです

はい、ここまでが憶測です
その後、武者せんせいと岸田一家は家族ぐるみのおつきあいをずっとしてゆきました
これは事実


岸田劉生のドキュメンタリー特集を以前にみたことがあります
美の巨人たちです
かなり前です
そのとき、岸田劉生にあてた書簡が読み上げられ、
最初に
誰からのものか…
というのは明かさずに読み続けました

途中で、
これ…武者先生じゃね?
って思ったら
やっぱりそうだった

文章はいくらでもつくったり着飾ったりできるけど、
根本的な思想や考え方というのは出るものです
特に、世に発表しようと思って書いたものでない、こういう書簡は顕著だと思います
この「言葉」というやつ
「文章」というやつ
もちろん言葉だけならどのようにも使うことができる
しかし言葉は軽いわけじゃない
言葉は力を持っています
その言葉が信頼たるものかどうかは
行動が伴うことによって積み重ねてゆくのだ、と思うのです
どんなに良いことを言っても、行動が伴わなければ信頼は得られないでしょう

武者小路実篤は
特に大上段にかまえて何かを言うわけではなかったですが、
その小説やエッセイや
書簡などの言葉の端々に
この、世の中を愛していることが感じられ
疑っておらず
すれておらず
なんだこの純粋培養は…なんて思ってしまうくらい
圧倒的なわけ

そして
その生き方を90歳で亡くなるまで貫かれた
ここがすごい
ボンボンだけど

貫けばなんだって真実になる
貫いて死ねばその人の人生は一貫して終わる
それを言葉だけに終わらず
行動を伴って証明した人
40歳すぎてから絵を描き始め、
バイタリティあふれる武者せんせい
「人生は楽ではない。そこが面白いとしておく。」
ほんとそうですね、武者先生
先生にはかないませんわ

こういう性質の人にわたしは圧倒され、平伏します
だから武者先生が好きなんです
たまに直視できないけどね
ののたんもこういう類の人だなあって思う
後、X-MENのプロフェッサーにもこの太陽を感じた
ボンボンなに言ってやがる!という感情が芽生えたとしても、
闇属性はそこに抗えないものがあるのだ、ということ

自分と全然違う人、自分と似ている人
どちらも好きで惹かれる
前者は憧れ
後者はシンクロ、そして愛しい

武者先生は、わたしにとっては太陽です(ちなみにののたんは北極星です)
太陽には遠くから熱や暖かさをいただく
北極星は自分が迷わないための指標
近寄れないけれど、憧れてやまない

そんな人には
やはり

かなわないな

って思うのでした

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島崎藤村

とにかく藤村を読んだ人が古今東西に感じるのは、旅情じゃないか

川端康成なんかも本に藤村を読んで旅をしたことを書いているし、
わたしも学生の頃、夜明け前を全編読了した時に
それほどぎらぎらとした思いというわけでもなく
ふと「行って見よう」と思ったりした先立つものがなかったが

藤村が与える旅情というのはとても素朴で、
変な言い方をすれば「何の変哲もない旅情」といった具合だ
だけどその何の変哲もなさこそが、
藤村を読んだ誰しもの足をかの地へ運ばせている気がする
なんだかはっきりとは分からないけれど、
きまぐれに春風にふかれたようで、かろやかでここちよい
たぎるおもいがあるのではないのに、
藤村は、はなさず側に置いておいて、ふと思い出したくなる

それでなんだかふと思い出したので、また藤村を読んでみようかな
そう思うのは多分、季節
「夜明け前」と「破戒」、「千曲川のスケッチ」

島崎藤村のことを考えるとき
血統、血の縛りってものが頭をよぎる
そこから生まれるモノはなんだか、ぽかぁ~んとしているときがある
本人が何を考えていたかを推し量ることはできないのだけど
あの血の縛りから何を想ってこれを書いたのかなあ…と
わかりもしないことをぼんやり考える
そして、いつしか考えるのをやめる

実は弱っているときに
大好きな武者せんせいは読めない
武者小路実篤は大好きだ
好き
ああいうスタンスの人好き
参考記事→「武者小路実篤 」、「進め、進め

でも
まぶしすぎる
わたしはイカロスのように墜落しそうになる
あの太陽を目の前にすると
武者先生はボンボンだしなあ
だからこそのright
90歳まで貫いたそのrightを尊敬してやまない
正しいというのは時に人を追い詰めるものなんだ


島崎藤村は不思議と「ふと」どこかへ
今の現状を「変えよう」でなく「行ってみるか」という気にさせる

わたしをどこかへ連れてって
涼しい風だね

| 小説 | 03:44 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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