三浦綾子さんについて
ルームのbest3で「好きな作家BEST3は?」というのに答えてます。
その中の2位にあげている三浦綾子さんについてです。
自分の本読み歴を省みると濫読、手当たり次第という言葉が浮かびます。
漫画も論文も小説も活字中毒だなあと思うことしきり。
以前に1位のアイザック・アシモフ氏をとりあげたときは
自分に多大なる影響を与えた方ですがその内容よりも
影響されたその後について長々と書いてました。
三浦綾子さんについては自分のその後の趣味や思想には影響しなかったのですが
とても尊敬している人です。
敬愛している。これが一番しっくりくる。
有名な著書としては「氷点」や「塩狩峠」などでしょうか。
出会いは小学校3年生のときでした。
その本のタイトルは
「太陽はいつも雲の上に」
これは旦那様の三浦光世さんと一緒に書かれているエッセイです。
わたしは忘れることと忘れないことになんらかの明確なラインがあるようで
古くは1歳8ヶ月のときの記憶があります。後で聞かされた記憶ではないのです。
このときこんなことがあってこう思った・・・
そう話すとその時の写真が残っていたりするわけで。で、思ったときの年齢が発覚するという。
そのわりに10分前に聞いたことを覚えていないときもあります。
よく脳は都合の良い補正をするから、本当に覚えているのか?
後からの記憶じゃないか?と言われますが
ならばですよ、
なぜ脳の可能性を信じないのですか。
脳が都合の良いものだという持論なら
覚えていてもおかしくないとは思いませんか。
そんなえらそうなことを言いながら10分前のことを忘れるのはこれまた脳の可能性ですね。神秘神秘。
この記憶のラインに引っかかっている本、それが太陽はいつも雲の上にをはじめ、
三浦綾子さんの著書なのです。
初めて読んだときは哀しくない涙が出ました。
理由は説明できないんです。何かが引っかかったのでしょう。
この方はずっと脊椎カリエスを患いながらも夫婦仲良く、世の中に感謝し、
毎日を大事に大事に過ごしてきた人です。
とても真似できるものではない、とまず全く違う世界の人だと思いました。
そうなんです。「共感」はしないんです。
わたしは実は宗教的には共感できてないのです。
三浦さんは敬虔なクリスチャンでその戒律に殉じて生きてきた方。
作品も原罪を扱ったものが多く、その傾向が強く出ています。
ただ、この厳しい戒律を守って生涯をまっとうしたこの方の生き方が。
それがオブザーバーな自分は眩しいのです。
市内に三浦綾子記念文学館 があります。
地元を愛した三浦さんの特にお気に入りであった神楽の見本林を背に立っている建物。
この見本林は氷点の舞台でもあります。
ここは実は民立民営なんですよねー。自分も賛助の一般会員になっていて
会員になると1年間フリーでこの文学館に入ることが出来きます。
そんな三浦綾子を敬愛するわたしに、あるチャンスが訪れました。
高校のときに講演会があり、予定されてた方が都合悪くなって
代打で三浦綾子さんがきたんです!
うちの高校に!講演しに!
握力40超の拳を握り締めガッツポーズをしました。
体育館に椅子を運んでもうわくわくのドキドキですよ。
椅子運ぶのだるーいなんていってる友達の分も
はぁー?!だるいだとコラ?運んでやるから黙ってついて来いや!
くらいの勢いでですね、もう感激でした。
講演中に水を飲む三浦さん、声も出づらいのかな・・・
ああ、美味しい・・・とため息をつく。
そんなお姿を見ながらお話を直の声で聞けるなんて…と涙ぐみ、
隣で寝てる友達に肘鉄をくらわし、終わりには羊飼いのように手を叩き、
お帰りになる姿を見送った。ずっと見送った。
そして、全校生徒がその感想を原稿用紙2枚以内に書いて三浦さんに送ることになりました。
な、なにぃ~!(;゚∀゚)=3
わたしはまた発奮してしまいました。
2枚の制限を大幅に破り10枚以上にわたって思いのたけを伝えた方です。
お返事もくれてもうひでき感激~。
学校の先生にその文を新聞に載せてよいかと打診されましたが
冗談じゃありませんやと断固お断りしました。
あれはいわゆるラブレターですよ。
三浦さんだけに読んでほしいんです。
本当は学校の先生にも読んでほしくないくらいですがそこは仕方ない。
その三浦氏もお亡くなりになり、その頃地方に転勤になっていたわたしは
衝撃で仕事をさぼりました。うそです。ちゃんと有給を使って休み、
葬儀に参列しました。参列じゃないですね・・・見送っただけです。
行かなくちゃと思ったんですね。お別れしなくちゃと。
もちろん顔は見れなかったけど。
市民葬もその後に執り行われたのですがそちらにはいきませんでした。
数ヵ月後に行われた市民葬の頃には自分の中でお別れが終わっていた。
そして遠くでその報道を見て、たくさんの人がお別れにきたんだな・・・
と感慨深く思っていました。
これから三浦さんの著書は増えません。
しかしわたしの記憶のラインを超えたこの方はずっと忘れないでしょう。
次回小説をとりあげるときは第3位の武者小路実篤、武者せんせーです(^-^)
明治から昭和の初期に時代とともに様々な流派が生まれ対立したり競合したり。
その中で90歳まで書き描き続けた生命力溢れるせんせー。好き。
この頃の作家さんは縦のつながり横のつながりが絡み合ってとても面白いです。
とか言いつつ最近読んだ本の感想を書くかもしれないのがぷさんクォリティ。
その中の2位にあげている三浦綾子さんについてです。
自分の本読み歴を省みると濫読、手当たり次第という言葉が浮かびます。
漫画も論文も小説も活字中毒だなあと思うことしきり。
以前に1位のアイザック・アシモフ氏をとりあげたときは
自分に多大なる影響を与えた方ですがその内容よりも
影響されたその後について長々と書いてました。
三浦綾子さんについては自分のその後の趣味や思想には影響しなかったのですが
とても尊敬している人です。
敬愛している。これが一番しっくりくる。
有名な著書としては「氷点」や「塩狩峠」などでしょうか。
出会いは小学校3年生のときでした。
その本のタイトルは
「太陽はいつも雲の上に」
これは旦那様の三浦光世さんと一緒に書かれているエッセイです。
わたしは忘れることと忘れないことになんらかの明確なラインがあるようで
古くは1歳8ヶ月のときの記憶があります。後で聞かされた記憶ではないのです。
このときこんなことがあってこう思った・・・
そう話すとその時の写真が残っていたりするわけで。で、思ったときの年齢が発覚するという。
そのわりに10分前に聞いたことを覚えていないときもあります。
よく脳は都合の良い補正をするから、本当に覚えているのか?
後からの記憶じゃないか?と言われますが
ならばですよ、
なぜ脳の可能性を信じないのですか。
脳が都合の良いものだという持論なら
覚えていてもおかしくないとは思いませんか。
そんなえらそうなことを言いながら10分前のことを忘れるのはこれまた脳の可能性ですね。神秘神秘。
この記憶のラインに引っかかっている本、それが太陽はいつも雲の上にをはじめ、
三浦綾子さんの著書なのです。
初めて読んだときは哀しくない涙が出ました。
理由は説明できないんです。何かが引っかかったのでしょう。
この方はずっと脊椎カリエスを患いながらも夫婦仲良く、世の中に感謝し、
毎日を大事に大事に過ごしてきた人です。
とても真似できるものではない、とまず全く違う世界の人だと思いました。
そうなんです。「共感」はしないんです。
わたしは実は宗教的には共感できてないのです。
三浦さんは敬虔なクリスチャンでその戒律に殉じて生きてきた方。
作品も原罪を扱ったものが多く、その傾向が強く出ています。
ただ、この厳しい戒律を守って生涯をまっとうしたこの方の生き方が。
それがオブザーバーな自分は眩しいのです。
市内に三浦綾子記念文学館 があります。
地元を愛した三浦さんの特にお気に入りであった神楽の見本林を背に立っている建物。
この見本林は氷点の舞台でもあります。
ここは実は民立民営なんですよねー。自分も賛助の一般会員になっていて
会員になると1年間フリーでこの文学館に入ることが出来きます。
そんな三浦綾子を敬愛するわたしに、あるチャンスが訪れました。
高校のときに講演会があり、予定されてた方が都合悪くなって
代打で三浦綾子さんがきたんです!
うちの高校に!講演しに!
握力40超の拳を握り締めガッツポーズをしました。
体育館に椅子を運んでもうわくわくのドキドキですよ。
椅子運ぶのだるーいなんていってる友達の分も
はぁー?!だるいだとコラ?運んでやるから黙ってついて来いや!
くらいの勢いでですね、もう感激でした。
講演中に水を飲む三浦さん、声も出づらいのかな・・・
ああ、美味しい・・・とため息をつく。
そんなお姿を見ながらお話を直の声で聞けるなんて…と涙ぐみ、
隣で寝てる友達に肘鉄をくらわし、終わりには羊飼いのように手を叩き、
お帰りになる姿を見送った。ずっと見送った。
そして、全校生徒がその感想を原稿用紙2枚以内に書いて三浦さんに送ることになりました。
な、なにぃ~!(;゚∀゚)=3
わたしはまた発奮してしまいました。
2枚の制限を大幅に破り10枚以上にわたって思いのたけを伝えた方です。
お返事もくれてもうひでき感激~。
学校の先生にその文を新聞に載せてよいかと打診されましたが
冗談じゃありませんやと断固お断りしました。
あれはいわゆるラブレターですよ。
三浦さんだけに読んでほしいんです。
本当は学校の先生にも読んでほしくないくらいですがそこは仕方ない。
その三浦氏もお亡くなりになり、その頃地方に転勤になっていたわたしは
衝撃で仕事をさぼりました。うそです。ちゃんと有給を使って休み、
葬儀に参列しました。参列じゃないですね・・・見送っただけです。
行かなくちゃと思ったんですね。お別れしなくちゃと。
もちろん顔は見れなかったけど。
市民葬もその後に執り行われたのですがそちらにはいきませんでした。
数ヵ月後に行われた市民葬の頃には自分の中でお別れが終わっていた。
そして遠くでその報道を見て、たくさんの人がお別れにきたんだな・・・
と感慨深く思っていました。
これから三浦さんの著書は増えません。
しかしわたしの記憶のラインを超えたこの方はずっと忘れないでしょう。
次回小説をとりあげるときは第3位の武者小路実篤、武者せんせーです(^-^)
明治から昭和の初期に時代とともに様々な流派が生まれ対立したり競合したり。
その中で90歳まで書き描き続けた生命力溢れるせんせー。好き。
この頃の作家さんは縦のつながり横のつながりが絡み合ってとても面白いです。
とか言いつつ最近読んだ本の感想を書くかもしれないのがぷさんクォリティ。
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