風が強く吹いている
10月の中旬に箱根駅伝の予選会が今年も行われた
箱根駅伝は毎年みる
あの、特別な感じはなんなんだろう
襷を繋ぐのをみるときの想いは
豆腐を作るときに
優しく木綿のサラシで豆乳とオカラをわけるように
じわじわきゅっきゅと
急激に胸が締め付けられるのではなくて
じわりじわりと心臓が搾られる気になる
「風が強く吹いている」は
青竹荘(通称アオタケ)という大学の寮に集まった部員たちが箱根駅伝出場を目指す話
元はエリートランナーで故障をかかえ一線から退いても復帰をあきらめていないハイジ
(役名:清瀬灰二 俳優:小出恵介)
同じく走る才能に秀でていたが勝利至上主義の指導者との方針があわず、
高校時代に部活を退部してひとり走り続けていた走(カケル)
(役名:蔵原走 俳優:林遣都)
この二人が出会い、他の部員たちと不可能ともいえそうな箱根駅伝出場を目指す
これをみて感じるのはタイトルのとおりその風の強さだ
走るときに感じる大気の壁
台詞の中で、
ハイジが走に問いかける
「長距離選手にとっての一番のほめ言葉はなんだと思う?」
走は
「速い…?」とこたえる
ハイジは言う
「俺は強いだと思う」
この強さとはあきらめない強さだ
言葉で言うただ「あきらめない」
そうでなく
マラソンは自分があきらめようと思ったらすぐあきらめることができる
ペースを落とせる
対戦相手はいるが対戦相手が相手ではない
一歩を蹴る力が
腕の一振りが
そのひとつひとつの繰り返しが
どこかで妥協すれば
腕のふりが少し小さくなり
蹴る力が少し弱まり
その少しが
積み重なり積み重なり、大きな差となる
気力だけではもちろんなく
でも
自分はどこまで、この一歩やこのひとふりを続けられるか
体力の限界以外の
あきらめない気持ちがとても響く
可能か不可能かという話では
このメンバーのうち
歴戦の箱根を目指す大学に対抗しうる力がある、と言えるのは
ハイジと走だけだ
他のメンバーは、
漫画好きやクイズ好きやヘビースモーカーやら剣道経験者やら山を2つ越えて学校に通っていた者やら
とにかく、ずっと練習にその身を費やしてきたランナーたちを差し置いて
箱根出場権を獲得することができるのか?
そういう想いもあるし
でも
あるかもしれない…とも思ってしまう
例えば野球でルーキーズが甲子園出場とかいっても(なめんなよ…)と思う
想いだけでは勝てない
相手がいるから
相手も練習し、更に研究し、想いも同じだけ強く
[直接]対決する競技だからだ
しかしマラソンは…
自分との戦いのマラソンは
体調や精神に大きく左右されるマラソンは
もしかしたらあるかも…と思ってしまうのだ
走の役の林君をはじめてみたのは映画、「バッテリー」だった
これも素晴らしくよい映画です
是非
その中でこの林君の運動センスが素晴らしいなと思っていた
今回は駅伝で、彼の走る姿が美しい
駅伝はどうしてずっと走っているのをみてしまうんだろう
ひとつに、走る姿が美しいからじゃないだろうか
そして箱根をみているときと同じように、
襷を繋いでいく彼らの姿に
じわじわと木綿のサラシで心臓を搾られるような気持ちになってくる
山ノ神に愛されるか否かの5区と6区
神童とユキが走るこの区間
ユキの台詞が印象深い
彼が下りの傾斜をうまく利用して普段ではなかなか出せないスピードに達する
それは走が常にいる領域
その速さと風の強さに走の孤独を知る
箱根のシーンになってからは終始胸がじわじわする
アオタケメンバーの各ランナーの性質や適正を紹介するときに、
箱根の区間と併せて紹介しだしてから、メンバーひとりひとりのことがわかってきた
登場人物が多いと、少し把握するまでに時間がかかったりする
それを、どの区間を誰に割り当てるか
それはこういう適正があるからだ、と紹介され
そこから俄然ひとりひとりに思い入れしながらみてゆくようになった
ややエンジンかかるのが遅かったかも←わたしに
ひとりでは走りきれない
走るというのは完走だけの意味でなく、
自分の一歩や腕の振りを妥協しない走りが最後までできること
強さ
長距離を走ることは本当に
強さであるのだな…と
じわじわくる作品だった
ちなみにわたしも少し走ります
こんなレベルでは到底ないですが、
自分の中でこれ以上ってどんな領域なんだろう…と思うことがあります
走る関連記事→「憲法マラソン 」
気持ちいいだけの部分じゃなく
ユキが6区を走りながら思う領域
(カケル、おまえはずいぶんさびしい場所にいるんだな…)
こんなところまで自分はとてもいけるとは思えない
自分は強くはないから
その領域を一人では走りきれない…
でも仲間がいたら、走れるかも
ここでいいや…
と思わないもの達が集まって繋ぐ襷には
やはり不可能を可能にするときが
あるんではないだろうか…
限りなく0に近くとも
なんて思った
胸がじわじわする映画だったが不満もある
箱根の選考会で女子マネージャーに言わせた言葉
(あ、この人たち…自分がゴールしてもまだ終わりじゃないんだ…)
観るものみなが感じていただろう
当たり前すぎる
どうして言葉にする?
余計だ
たまに余計な演出がある
しかも女マネに言わせるのが無粋
女マネは今までみんなと一緒に練習を共にし、見守ってきた一員だというのに
なんで今更選考会でそんなこと思うんじゃ
おめーは何を見てきた
…と思わせかねない余計な一言
台無し
これ台無し
変な自己主張をする脚本なのか監督なのかなんなのか
わからんけども
役者をみてじわじわ胸が締め付けられているところに
がっかりの一撃
なんて惜しい映画だろう…
しかし役者はとてもよく
やはり箱根駅伝のシーンが好き
風が強く吹いている
その走る姿
風圧
風を感じる
箱根駅伝は毎年みる
あの、特別な感じはなんなんだろう
襷を繋ぐのをみるときの想いは
豆腐を作るときに
優しく木綿のサラシで豆乳とオカラをわけるように
じわじわきゅっきゅと
急激に胸が締め付けられるのではなくて
じわりじわりと心臓が搾られる気になる
「風が強く吹いている」は
青竹荘(通称アオタケ)という大学の寮に集まった部員たちが箱根駅伝出場を目指す話
元はエリートランナーで故障をかかえ一線から退いても復帰をあきらめていないハイジ
(役名:清瀬灰二 俳優:小出恵介)
同じく走る才能に秀でていたが勝利至上主義の指導者との方針があわず、
高校時代に部活を退部してひとり走り続けていた走(カケル)
(役名:蔵原走 俳優:林遣都)
この二人が出会い、他の部員たちと不可能ともいえそうな箱根駅伝出場を目指す
これをみて感じるのはタイトルのとおりその風の強さだ
走るときに感じる大気の壁
台詞の中で、
ハイジが走に問いかける
「長距離選手にとっての一番のほめ言葉はなんだと思う?」
走は
「速い…?」とこたえる
ハイジは言う
「俺は強いだと思う」
この強さとはあきらめない強さだ
言葉で言うただ「あきらめない」
そうでなく
マラソンは自分があきらめようと思ったらすぐあきらめることができる
ペースを落とせる
対戦相手はいるが対戦相手が相手ではない
一歩を蹴る力が
腕の一振りが
そのひとつひとつの繰り返しが
どこかで妥協すれば
腕のふりが少し小さくなり
蹴る力が少し弱まり
その少しが
積み重なり積み重なり、大きな差となる
気力だけではもちろんなく
でも
自分はどこまで、この一歩やこのひとふりを続けられるか
体力の限界以外の
あきらめない気持ちがとても響く
可能か不可能かという話では
このメンバーのうち
歴戦の箱根を目指す大学に対抗しうる力がある、と言えるのは
ハイジと走だけだ
他のメンバーは、
漫画好きやクイズ好きやヘビースモーカーやら剣道経験者やら山を2つ越えて学校に通っていた者やら
とにかく、ずっと練習にその身を費やしてきたランナーたちを差し置いて
箱根出場権を獲得することができるのか?
そういう想いもあるし
でも
あるかもしれない…とも思ってしまう
例えば野球でルーキーズが甲子園出場とかいっても(なめんなよ…)と思う
想いだけでは勝てない
相手がいるから
相手も練習し、更に研究し、想いも同じだけ強く
[直接]対決する競技だからだ
しかしマラソンは…
自分との戦いのマラソンは
体調や精神に大きく左右されるマラソンは
もしかしたらあるかも…と思ってしまうのだ
走の役の林君をはじめてみたのは映画、「バッテリー」だった
これも素晴らしくよい映画です
是非
その中でこの林君の運動センスが素晴らしいなと思っていた
今回は駅伝で、彼の走る姿が美しい
駅伝はどうしてずっと走っているのをみてしまうんだろう
ひとつに、走る姿が美しいからじゃないだろうか
そして箱根をみているときと同じように、
襷を繋いでいく彼らの姿に
じわじわと木綿のサラシで心臓を搾られるような気持ちになってくる
山ノ神に愛されるか否かの5区と6区
神童とユキが走るこの区間
ユキの台詞が印象深い
彼が下りの傾斜をうまく利用して普段ではなかなか出せないスピードに達する
それは走が常にいる領域
その速さと風の強さに走の孤独を知る
箱根のシーンになってからは終始胸がじわじわする
アオタケメンバーの各ランナーの性質や適正を紹介するときに、
箱根の区間と併せて紹介しだしてから、メンバーひとりひとりのことがわかってきた
登場人物が多いと、少し把握するまでに時間がかかったりする
それを、どの区間を誰に割り当てるか
それはこういう適正があるからだ、と紹介され
そこから俄然ひとりひとりに思い入れしながらみてゆくようになった
ややエンジンかかるのが遅かったかも←わたしに
ひとりでは走りきれない
走るというのは完走だけの意味でなく、
自分の一歩や腕の振りを妥協しない走りが最後までできること
強さ
長距離を走ることは本当に
強さであるのだな…と
じわじわくる作品だった
ちなみにわたしも少し走ります
こんなレベルでは到底ないですが、
自分の中でこれ以上ってどんな領域なんだろう…と思うことがあります
走る関連記事→「憲法マラソン 」
気持ちいいだけの部分じゃなく
ユキが6区を走りながら思う領域
(カケル、おまえはずいぶんさびしい場所にいるんだな…)
こんなところまで自分はとてもいけるとは思えない
自分は強くはないから
その領域を一人では走りきれない…
でも仲間がいたら、走れるかも
ここでいいや…
と思わないもの達が集まって繋ぐ襷には
やはり不可能を可能にするときが
あるんではないだろうか…
限りなく0に近くとも
なんて思った
胸がじわじわする映画だったが不満もある
箱根の選考会で女子マネージャーに言わせた言葉
(あ、この人たち…自分がゴールしてもまだ終わりじゃないんだ…)
観るものみなが感じていただろう
当たり前すぎる
どうして言葉にする?
余計だ
たまに余計な演出がある
しかも女マネに言わせるのが無粋
女マネは今までみんなと一緒に練習を共にし、見守ってきた一員だというのに
なんで今更選考会でそんなこと思うんじゃ
おめーは何を見てきた
…と思わせかねない余計な一言
台無し
これ台無し
変な自己主張をする脚本なのか監督なのかなんなのか
わからんけども
役者をみてじわじわ胸が締め付けられているところに
がっかりの一撃
なんて惜しい映画だろう…
しかし役者はとてもよく
やはり箱根駅伝のシーンが好き
風が強く吹いている
その走る姿
風圧
風を感じる
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