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テレビドラマ 仁




第27回のーークイズにテレビの仁の話を書いたので追記しとこーか

シリーズ1のときは、
野風の改変により、恋愛プッシュだなと感じ、途中からみなくなった
シリーズ2が始まり、
まあ改変していてもなかなか面白いつくりであると思い、観続ける

5話までは
テレビの仁せんせいにイライラすることはあったが
根本筋までおかしいとも思わず、続き(テレビとしての終わらせ方)が
気になるドラマだな、と毎週楽しみにしていた

ここまででいらっとしていたのは、仁先生の性質
もちょもちょあれこれ
なんども同じことを繰り返し悩んで
悩んでもいいけどぐだぐだへらへら
テレビだけみててもさ、
この性格には魅力を感じない
変えたら変えた方向で魅力的になったものをみたい
でもそれは仁先生の性格だけで
あとはそんなに引っかかるところもなかった

しかし6話
ここで、龍馬と仁先生を衝突させる(原作にはない)
医者が、人の命が消えていくことをただ見つめなければいけない状況は辛い
助けても助けても死んでゆく
そんなことは
原作だってそうなんだ
革命が起こる時には犠牲がでる
原作でも仁先生は自分の無力感に苛まれながら
それでもできることをやり続ける
幕末、という大きな時代の流れを感じながら

その時代を、より良い方向に向けようと奔走する龍馬
龍馬に対して6話で仁先生が言ったことはただの八つ当たりだろう
闘うことを否定するなら、その代替え案はなんだ?
いいか、やられたらやりかえす
これが正しいなんて、龍馬もその他の武士達みながみんなも
思っているわけではない
そんなことは大前提だ
革命は沸騰して成る
沸騰しないならばぬるま湯に満足しているか、
不満はあっても今の生活を犠牲にしてまで変えたくないのだ

そういう大きな流れの中のひとりひとりのあがき
血も屍もいくつも重なり明治維新が成る
維新
この意味を本当にわかっているのか

龍馬はなるべく闘わずに、
人が多く死ぬ方法を避けながら奔走してきた、あの時代に類稀なる武士だ
薩長同盟が、
考えた者はいたとしても、誰が本当にできると信じ実際に行動を起こしたか

※重要な脱線
これに関しても実はとても言いたいことがある
テレビドラマ、大河でも龍馬龍馬いってるが
もちろん龍馬が手筈したのだが、
中岡慎太郎の働きを空気扱いされても不愉快だ
中岡は蛤御門の変にも、長州軍として身を挺して参加している
下関戦争も然り
長州が信頼するに足る、と判断した中に、中岡の働きがある
誰も味方してくれず、孤立していた長州
禁門の政変で会津、薩摩に裏切られ、鷹司卿にも見捨てられ、
孤立無援、四面楚歌の中での援軍を、長州は決して忘れないだろう
だからテレビではわかりやすいかもしれないけど、龍馬龍馬だけいってないで
中岡もプッシュしてほしい
プッシュというか普通に史実を伝えてくれ
テレビのつくりってなんでこんなに安易なの


閑話休題、
長州討伐で人がたくさん死ぬだろうことが予測される状況の中、
その中で龍馬は代替え案を出してきた
それが薩長同盟だ
日本の藩の中で幕府に対抗しうる力のある藩、
薩摩を長州の味方につけることで、
幕府はたやすく長州を攻めることはできなくなった
この同盟では根本的解決はしない
薩長同盟の効果は力の均衡による冷戦締結状態だ
それでも当面の闘いは避けることができる案を、
龍馬は打ち出し、言うだけでなく実行する
孤立無援の長州が宿敵薩摩の力を借りる…どれほどの葛藤があったか
真に考えてみてほしい
そこを、あえて、結ばせた同盟
それが薩長同盟

大政奉還後もそう
龍馬は新政府の役職の草案に、第15代将軍徳川慶喜公をいれたものを出す
これは今後、徳川側の謀反を抑える鍵となる
そこを見据えた草案だ
正直、薩摩や長州は徳川のポジションを誰がやるのか、
次の徳川に成り代わるのはどの藩か、という視点
しかし龍馬は違う
武士そのもの、この制度をなくしてしまいたい
真に新しい日本国を築きたい
ここでも龍馬と他の今まで協力してきた藩に軋轢が生まれる
それでも自分が信じた未来を迎えるために事を揺るがず運ぶ

龍馬は
いつでも、どのときも
同朋が無念に散った後でさえも、
感情だけで、私怨で動いているのではない
自分が理想とする世の遥か先を見つめている
それは郷士として虐げられてきた環境で育った龍馬が、
土佐の上士である後藤象二郎と手を組んだことでもわかるだろう
どれだけ「私」を滅しているか

※上士と郷士については関ヶ原の合戦まで遡る
郷士とは長宗我部が治めていた、もともとの土地の系列の武士
上士とは関ヶ原以降、
勝利した東軍に属す山内家が治めることとなる系列の武士
つまり関ヶ原の合戦から200有余年、
郷士は虐げられ続けたという歴史があり、
幕末における勤王の志士の士気の高まりに繋がるのだ
藩のメンツをかけた他の藩の志士とは意味が違い、
土佐の郷士は後ろ盾がない状態で革命に参加する
背水の陣だ
龍馬は別行動ではあったが、なぜ身分差をなくしたいか、
という源流としてこの歴史が根本となるだろう


ただ耐えるだけでなく、
その代り、この案はどうだ?と
必ず龍馬は代替え案、それになりかわる方向を打ち出してくる
それでも闘うときは闘わなければならない
実際、幕府軍との海戦にも軍艦で参加しているからね

その龍馬に対して
歴史に疎かろうと、幕末の志士たちの功績を知っている現代人が
なんの策もなく
ただ感情で
「ただの人殺しじゃないですか!」
と叫ぶ
仁先生に叫ばせる

あのぺらいセリフはなんなの
えせヒューマンはなに
何をかきたいのこのテレビドラマ

できることは患者の命を救うことだろう
時代の流れ、志士たちの想いも呑み込んで、
黙々と自分の仕事をやる原作の仁先生とはかけ離れている

離れたら
離れたところで魅力的にしてよ
変えるなら、変えたなりの利点や効果がほしい
こんな変え方は苛立つだけ

この状態で、龍馬と仁先生の時を越えた友情は成り立つのか
こんなぺらい認識に仁先生を設定しちゃって
最後どうオチをつけるつもりなの
龍馬は仁先生の、医療技術にも感嘆して好意や尊敬の念を持っただろう
それ以上に、自分のやるべきことに対しては信念をもってやり通す、
あの鬼手仏心にこそ感銘を受けたのじゃないか

こんなへらへらうにょうにょぐだぐだな仁先生で感銘を受けるのかね
甚だ疑問
そして龍馬がやってきていること
彼も、自分の信念を揺るがすことなく行動に移してきた人だ
最近の幕末物の龍馬の描き方だと、
龍馬はいいやつだとか人を殺めないとか
そんな持ち上げばっかりやって
龍馬の暗殺についてなぜ未だにこれだけ藪の中なのかということを考えるに
あれだけの暗殺首謀者説があるのは、それだけ恨みもかっている人間なのだ
自分の信念、ポリシーと違うところで動いていればそれは当然あること
日和見ではないのだから
アーネストサトウなどは龍馬が嫌いであった
紀州藩だってかなり憎々しく思っていた
でもそんなものは入れないね最近の幕末物
ただ良い人のヒーローにしたてあげたいのだろうか
いろんな人を敵にまわしても近づけばその理想に開眼し、
開眼するまでに多くの人を巻き込みながら自分の信念を通すところが
龍馬の真の魅力だとわたしは思っている
目的のために手段を択ばない
あの当時、あんな武士は稀有だ
金でも戦争を抑えられる、と考え
徳川が謀反を起こさないように金座と銀座を抑える(現代でいう日本銀行)
こんな発想ができる武士などなかなかいない
こうやって、武力制圧以外の案を出してきた龍馬にいうセリフなんだろうか

現代の、命が守られるのが当たり前の、
ゆるい感覚の人があの時代にいけば確かに
「ただの人殺しじゃないですか!」って言うかもな

それをなんで仁先生にやらせるのかなって
思うな
だって本来の仁先生やんねーから

その苦渋の想いをのみこみつつ、
同朋の死を抱えながら走る龍馬は
この言葉を聞いて、
自分の志をわかってくれている…と
友情を感じるのかね?
それとも龍馬は器が大きいからそこも了承して友情を感じるかい

ねえ
制作してる人って明治維新のことどう考えてるの
えせヒューマンを被せる理由を聞かせてほしい

そういうわけで、テレビドラマ仁をみているとどうにもイラつく
ゆえに観るのをやめた
しかし録画はしたので、最終回が放送されたら一気にみる
いらいらするタイムは短くしたいからな

それでも見届ける
今回はラストにもかかわるので、
観ないで批判するのは
イラつきながら観るよりストレスたまる

のーーークイズの追記で書き始めたが
そぐわぬ内容だったので
新しく記事を起こすことにした


では最終回まで、御免

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| 漫画・アニメ・TV・特撮 | 06:52 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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