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三橋母はこう見えて幼少の頃に父を、
高三の時に母を亡くし
それなりに苦労して大学を出ました
(家計簿は中学の時からつけてます)
彼女と三橋父は
大学の交流会で出会い(交流会と言う名の合コン的な)
三橋父が三橋母をなんとかくどき落として
お付き合いしたのですが
三橋父の親に交際を反対されてしまいます
三橋父「オヤジ!会わないってどーゆーこどだよ!」
三橋母独白(素敵なおうちねェ…)
いまどきこんなことあるのねェ…なんて
人ゴトみたいに考えていた三橋母ですが
オヤジ「事情が何でも一人暮らしの女なんか嫁に取れるか!」
三橋父「はぁ!?」
いろんな理由でこの一言にものすごく腹が立ち
現実離れした彼の誘いに
三橋父「かけおちしよう」
乗ってしまいました
多分続きます
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以上原文まま
こういうことはありますね
わたしも三橋母に境遇が近いので
ままあります
家柄、育ち
努力でどうにもできないことが
障壁になることはいくらでもあるもんです
そしてそこで人を判断する考え方の人が極悪だということでもないのです
この三橋父の育ちの良さというか
育ちの善い人に特有の希望的観測というかね
そういうものにあっけにとられて乗る気持ちもわかりますね
自分なら最初から希望ももたない部分
そこをできることを疑わない気持ち
ある意味世間知らずであり、しかし強い
挫折していない強さですねこれは
どうしようもない部分を許容して生きていると
無理そうな事柄に希望をあまりもたなくなってくる傾向にある
ありていにいうと諦めがよくなる
でも思う
人がなにかをできなくなるのって
できないんじゃないか…?と
疑ったときからじゃないかって
最後まで疑わなかった人が
その希望の光のもとに集えるのかも
育ちのいい人にはそういう力があると自分は感じる
まあ鼻につくときもあるけどね
だから身分違いの恋や愛もあるだろう
すべてがうまくいくわけでもなくいかないわけでもない
身分違いにはうまくいかない要素が確かに余計にある
うまくいかなくても一緒にいたい、と
思うのなら超えられる
超えられるって疑いもしない
疑いもしない人に引っ張られることはあるものだ、と
つくづく思う
来月は続編
たぶんおそらくメイビー
泉編みたいな~