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重力ピエロ2

続いて、

自分のとるだろう行動(経験則による判断基準)

人は経験則でものを言う
他人のことに口を出さなくとも、
それが自分の身の上に起これば
判断したり行動したりは自分の基準だ

重力ピエロの母親と同じことが…
わたしには起こらない
レイプまでは考えられる
しかしそれでも同じことが起こらないのは、
わたしならば、レイプでできた子供を産まない選択をするからだ

それは子供を愛せないだろうから…ではなく
おそらく、そうでなく
自分のことであっても「おそらく」と言うのは、
どんなに強いと思っている想いも、
いろんなことに翻弄され揺らぐときがあるからだ
だからおそらく
愛さないではいられない
だから産まない

自分も子供を産み、育てた
子供が自分にとってどんなものか
どのような状態でも繋がりを絶ちたくないと思うか
それは経験的に思うことなのでおそらくであるが
次に生まれた子にはまた、違う感情を持つのかもしれないが

愛すると思う
血だけではない
紡ぐ関係
わたしだけが生きる拠り所である小さな命
思い通りにならない
寝ることも、食べることもままならないときがある
自我がでてくれば、意見も違う

あらゆる動物の子供の中で
人間の子供が
一番育てるのが困難だ
それでも愛するだろう

だから辛い
わたしにはこの父(小日向文世)の覚悟ができない

自分はどうして産まれてしまったのか
自分はいないほうがよかったのではないか
世の中のいろんなものに傷つけられてゆく
深淵をみる
自分の存在を疑う
平常ではいられない
生まれてきたことを悔やむ子供をみていられない
すべてを包み
受け入れ
辛いことも苦しいことも
受け入れなければならない姿を
みる覚悟が無い

これは、産んでも産まなくても
どちらでも苦しさは残り抱えてゆかねばならない

産まないならば命が生まれなかったこと
産んだならその産まれた命が苦しむのをみて過ごすこと
産むことも産まないことも
その時点ではエゴである
なぜか
生まれる命に選択権がないからだ

妊娠したときに、
おなかの子供に「世に出たいか?」と
聞くことはできない

そこからは産むほうを選ぶのならば、
子供がこれから請け負うモノも
すべて見てゆく
その覚悟が必要だ

覚悟があっても
人間は弱い
些細なことで揺らぐ
たいそうだと自分で思っている決心も揺らぐのだ

他の動物と違うのは、
人間は自殺する動物だということだ
「生きる」こと以外を考える動物
ただ「生きる」ことだけをなかなか考えられない動物

なんにしろ、
その命が産まれて
どうなるかは
起こっていないことだ
起こっていないことはわからない

しかし
取り返しもつかない
やりなおせないのだ
失敗したからおなかに戻すこともできない

ほとんどのことはそうである、と基本思っている
やりなおしというのは疑似であって、
本当に起こったことをやり直せるわけではない
同じようなことが起こったとしても、同じことではない
同じ「ような」ことだ
起こったことは起こったこととしてそこに在る

そこからは、
起こったことを前提に
何かをやってゆくしかないのだ
積む、ということ

この重力ピエロの中に出てくる父は、
起こったことを無いことにはしない
もちろんできない
だから、積んだのだろう
愛情や信頼や慈しみを
そして、春が苦しんだとしても受け止めようと、
自分で決めろ!という神の声で自分で決めた

マイナスからのスタートをプラスにするには
プラスを積み続けるしかない
わたしはこれをできると言い切れない
そのときに声は聞こえるだろうか
マイナスから更にマイナスへ
向かうかもしれない
しれない


やってみなければわからない、といいながらも
自分自身のことだけに留まることが多い
愛するものがどうなっても、
生きろ!と言い切れない自分は
弱くヘタレだと思う

だから自分は、
産まないで
自分だけで抱えてゆく方を選ぶだろう
自分のエゴを発動できるうちは

この重力ピエロという話でいうと、産む、産まないという選択ができる時点

ゆえにこのようなことは
自分の身の上には起こらない

しかし生まれでた命は愛するしかないのだ
というか愛さないではいられないのだ
と思う

今も迷いながら書いている
自分のふところの狭さを思いながら
すべてを受け入れることは
本当に難しい

それでも決断しなければいけないときは、
こちらの意思に関わらずやってくる
何も考えないで過ごしてゆけるなら、
そんな幸せなことはないだろう
その幸せに本人が気づいているか
今までが安穏と幸せだったことに気づいたのならば、
何かが「起こった」ときではないのか
心底、感じるとき

どれだけ守られていたか
どれだけ幸せだったか
一生気づかないことは幸せなのか
本当にわからない
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