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重力ピエロ3

スタンス(自分だけでなく他者にも一貫して示したいもの)

これは、この物語の中の父と兄が、
終盤のシーンで春を受け入れたことから思ったことだ

自分は今現在、
日本という国家に暮らし、
治安と秩序を守られ、
言い換えれば法に守られて生きている
その中で暮らすのであれば、法は守ろうと思っている
これは、自分自身の問題であるのだけれど、
そこで生きるのならばそこの郷に入ることだという諦念がある

身近な例をいうと、
交通違反などが凡例としてあげられる

つかまって、このやろう!と思ったことはない
捕まるのは違反をするからだ
人と比較すれば不満が出るかもしれないが、
自分は10キロオーバーで捕まって、30キロオーバーの人が捕まらない
そういう理不尽があったとしても、
違反をしなければ捕まらないのだ
自分は制限速度で走っていたのに捕まって、あの人は30キロオーバーなのに捕らなかった
そんなわけではないだろう

この理不尽を受け入れている、という話ではない
捕まったのは因果応報
因果応報を受けない人がいることも事実
しかし自分が因果応報を受けたとしたら、それは自分がしたことが返ってきている
これは法を受け入れ、その法に守られ、守られるならば自分も義務をはたす、という話

嫌ならば
違う国家に属するか
法を変えようと行動を起こすか
自分で国家を起こすか
諦めでもあり湯で蛙でもあるが、この国にいるというのはそういうことだ

では、法で納得できないことは…?


この重力ピエロの場合、
未成年の連続レイプ事件
強姦については親告罪
くらった刑は5年の判決
その後、刑期を終えて社会に復帰し、反省も無く暮らしている

実際にこのようなことは世の中に起こっている

このことで、春は行動を起こした
法に反する、自分の中の倫理で動いた
実際自分も、交通法規程度のことは守る、と言えるが、
自分の愛するものを陵辱されたら、
法を守ると言い切れない
可能性としては、自分の選択肢は幾つもある

突然のようでいて関係しているのだが、
わたしはブロンソンが好きだ
彼の演じる映画の中に、デス・ウィッシュ・シリーズというものがある
妻や娘を犯され、殺されたポール・カージー(ブロンソン)は、
警察も裁判所もあてにならない状況に見切りをつけ、
復讐鬼となってバンバン憎い相手を殺してゆく話

身近に感じられない、と思うところもある
しかし、極論としては…
自分もそうするかもしれない
胸がすくのは大切なものを自分だけの力で守る彼に思うところがあるからだ

そして彼は、もう法には守られない
一切を捨てる
恩恵も保護も、すべてのものを捨て、復讐を遂げる
すべてをぶち壊しても遂げたい想いがあったとき、
正義とはなんだ
この映画の中で言っている正義とは
自分の正義だ

重力ピエロで胸がすかないのは、この二人(和泉と春)がこの後、
どういう道を歩んだかわからないからもある

法に守られながら法を犯す

ここがおそらく、重力ピエロ1で言ったしっくりきていないところなのだと思う

今後の物語が書かれていないので、
それはわからない
この後どうやって生きてゆくのか

重力ピエロという映画は、
見終わった後もずっと何かが続いている気分になる
終わりまでみても終わらない

遂げたい想いが募ったとき、
自分だけのことですむのならば、
選択肢はもっと増える

実はこれも迷いながら書いている
負の輪廻は花でしか断ち切れないと思うのに、
自分がもしも、不幸せな子供であったなら、
なにかを(ここでは子供を)、
幸せにすることでしか断ち切れないと思うのに、
自分が守りたいものについては、
すべてをぶち壊しても守りたいという気持ちもある
交通法規のように諦念とともに納得できるか
どうにもそんな気がしない

しかし子供にはなんと教えるだろう
いつも
ふっと思う

四知の中で一番最後だけいつもいつも迷う
四知とは
四知に恥じない行動
天が知る
地が知る
己が知る
子供が知る

天も地も己も
自分の中では一代限り
自分が認識する天
自分が認識する地
それは自分の人生が終わったときに終わる
己も然りだ

しかし子供には
繋がる

ここに断ち切れないものが関係してくる

自分の代で終わるのなら
自分の思うとおりに好きなように
たとえ他から何を言われようと
それを受け止めて自分で始末をつけられるのなら
好きにやればいい

でも
自分が好きにやることでまた負の輪廻を断ち切れないとしたら
とめたい、次に繋げたくない、という気持ちもある

重力ピエロという映画になぞって具体的に言うと、
父の行動をとるのか、春の行動をとるのか

父は子供たちがいたから、すべてを受け入れる方を選んだのかもしれない
本当は母親をレイプした犯人をぶち殺してやりたかったけれど

春にはいまのところ、次世代に繋げる人がいない
だからできた行動なのか?
ここもどうしようもないアンビバレンツなのだ

自分にはある意味、
次の種を産んだことで、こうありたいと思うこと以外に、
実際の行動ではやりきれない矛盾がうまれるときがある
平穏に
何気なく
事は起こらず
暮らしてゆく中では
考えなかったり、選択しなくてよい事柄なのだろう
毎日を毎日暮らし、
一日の労働と糧
前をむいている姿
それを見て育つ次の種
そのように暮らしていても、
天災のように何かが起こるときがある

起こったとき、自分はどうするのか
究極の選択は、
しないで過ごせる人も居るかもしれないが、
選択しなければならなくなる人も確実に居る

自分がどちらになるかなぞ、未来は見えない
自分はここに、
蓋をしたり
開けたりしながら
今は少し開いて
考えている

事の流れの方向が
なるべき方へ流れ着くとしても
どちらに行きたいかという自分ができる選択は
考えている

しかし
答えはなかなかでない

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