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有島武郎 1/2

有島武郎 前哨 』 (リンクあり)


あのときは書くことができなかった有島を今は書ける気がする
師匠、ありがとうございました


有島武郎
以前に何回かとりあげているが、
明治から昭和の初期に執筆活動をしていた
「しらかば派」に属していた作家である
その他にもニセコの地で農場開放の活動などを精力的に行っていた

有島のキーワードは「解放(開放)」
そして本人の魂は「誠実」だ

関連記事 → 『武者小路実篤
       → 『牛肉と馬鈴薯 国木田独歩について私感


この頃の作家というのは縦に横に、本当に縦横無尽に繋がっている
武者小路については同じ「しらかば」の同志、
国木田独歩については友人であり、
国木田の恋愛の顛末にヒントを得て「或る女」などを執筆している


彼のおおまかな略歴(wiki抜粋)

・東京小石川(現・文京区)に旧薩摩藩士で、大蔵官僚の有島武の子として生まれる
・10歳で学習院予備科に入学し、19歳で学習院中等全科を卒業
・その後、札幌農学校に入学
・教授に新渡戸稲造がおり関わりがある
1901年にキリスト教に入信する
・農業学校卒業後に軍隊生活を送り、その後渡米
・ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒
・さらにヨーロッパにも渡り、1907年帰国
・このころ信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れることになる
・帰国後は、弟の生馬を通じて志賀直哉、武者小路実篤らと出会い同人誌『白樺』に参加
・『かんかん虫』『お末の死』などを発表し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した
・代表作:『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』など
・1922年、『宣言一つ』を発表し、北海道 狩太村(現在のニセコ)の有島農場を開放
・1923年、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、恋愛感情を抱く
(当時有島は既に妻に先立たれていた)
・しかし秋子の夫に知られるところとなり、脅迫を受けて苦しむことになる

そして6月9日、
二人は軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死心中を遂げる



これより書き連ねる有島については、
この赤くなっている文字の部分、
ここに重点をおいて書いてゆきます

ニセコの有島記念館、そして彼の作品、
彼を語る同志しらかばの文豪たちの書簡、
彼の残した遺書…
などから、わたしが感じたこと
そのターニングポイントと思われる部分が赤で抜いたところです


前回自分が書いた、『有島武郎 前哨』の一文より

>誠実に自分の信念に殉職した作家は他にもいるが、
>有島の魂の浄化についてはまた意味がかなり違っていると思う。
>それを、今、朝、ぽっとででは書けない。


そう、書けなかった
それは有島の農場があった、
有島の「解放」(農場においては開放)をかけた地、
「北海道・ニセコ」
そこに建ってる有島記念館だけをみて、
有島の生涯を追いはしたが、
何かが足りなかったからだ

それは有島の終焉

有島は死して後悔をまったくしていない
この魂の解放こそが有島が求めていたものだと思う
その魂を解放した地
そこに触れずして有島を考えられるだろうか…
という思いが自分の中にあったからだ
もちろん、その地を訪れなければいけない…というわけではなく、
その魂に「触れる」こと
感じることができれば、自分の中の堰が切れる、と思っていた

このたび、nadaさん (リンクあり)のはからいにより、
その地を見ることができた
この終焉の地をみてわたしの中の有島はひとつの区切りをみる


まず、最初の赤い部分
有島はかなり上流階級の生まれである

このとき時勢としては
プロレタリアート文学(代表としては小林多喜二)や、
社会主義的な考えが世の趨勢をも左右するひとつの雷であった
貧富の差や、ブルジョア階級に対する批判などを受けるにも
批判する側にもそれぞれ言い分や立場があろうが、
その恩恵はきっちり受けてきた人物だ

留学もしているし、皇族にも知り合いがいるという、
言うなれば成金でない金持ちの家に生まれ、
由緒正しい血統を併せ持っていた
この立場がまた彼を苦悩させる
ひとつの先天的要因だったのではないか

彼は後に「しらかば派」と呼ばれる人々と交流するようになる
(白樺とは雑誌の名前であり、派閥の名前ではないが、
後世、このように称されることが一般的になる)
この代表格として志賀直哉、武者小路実篤などだが、
この人達はみな上流階級の者たち

ここで掲げる信念は「理想主義」と言われるもので、
実際世相にあってない夢物語を当時は語っていたわけだ

つまり下世話にいうとですね、
ボンボンがなに言ってやがる、と
おまえらそんな立場だから悠長なこと言ってられるんだろ?
的な批判を受けるわけですよ

実際、育ちがいいんです
留学もしてますしね
当時のレートで日本円と外国の貨幣の通貨レートを考えると
留学なんてなかなかできるもんでもないわけです

「しらかば」は上流階級の集まりで、
そういう者しかなかなか踏み入れないサロンであったし、
その思想も万人が幸せになれるか?と問えば、
今この状況で?
世界情勢で?
日本の状態で?
と考えると、まさしく「理想」主義
理想だけ語って、実際に即してない部分があったのです

そこに動じず、90歳で他界するまでそれを貫いたのが武者小路実篤で、
そこに苦悩し、いろんなことに誠実でいたいが矛盾に苦しんだのが有島です

武者先生については『武者小路実篤 』にて!


有島の誠実さについてはかなり顕著なエピソードがあります

彼は大学時代に男性の友人と
一緒に心中しようとしたことがあります

その友人はいろいろ悩んでいることがあり、
生と死の狭間でゆれてた時期もあり、
有島はその友人と同化しようとします

優しさと云うのはね、
万人に優しいと云うのは
誰にも優しくない、ということでもあるのです

有島はこの友人がいった言葉、
「君との友情を大事にするために、他の連中を切っている」
これをあまりにまっすぐ受け止めました
この友人のために自分は居るという存在を示したわけです

それがいいかどうか、そういう問題ではないのですね
有島は自分に誠実すぎて、
自分の中の矛盾を見てみぬ振りができない
もっと上手くつきあえば…と思った人もいたでしょう
妥協も必要だと思う人も
しかし有島本人が自分自身を許せなく、
こういう示し方をするのです

つまり彼の中で、
この友人に自分の誠意を示すためには
この方法しか納得できなかったのでしょう

実際にはその時、この友人とは死んでませんし、
他の人ともその後は交流があります

ただこの時に、この友人が求めていたもの、
それを自分の命がどうであろうと与えたいと思っていた
他のものを省みず、おまえだけのために俺は居る、と
そういう誠実さが作品にも如実に表れていると思います



長いので続きます


次は作品についてと有島の最期


※ 2009.04.14

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