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有島武郎 2/2

有島武郎 1/2 』の続きです


彼の小説はほとんどが私小説
つまり実際にあったこと、自分が経験したこと、
または誰かの経験をみて思ったことがほとんど

ここも彼の作品評価において賛否が分かれたところであるのですが、
小説というのは虚でもドリームでもいい世界
なんにしろ創作はそういったものだと思います

しかし彼は書かないのです
まったくの「虚」は書かない

それは体験してないことがわからない、や
語れない、といったこともあるし、
虚を表現することは彼にとっては「嘘」だから

彼の小説の中に「小さき者へ」というのがあります
これは実際彼の子供たちへあてた文であり、
彼の奥さんである子供たちのお母様が亡くなったときに書いた、
子供たちへの覚悟の文章なのです

冒頭の一文がこれです
>「お前たちは去年、一人の、たつた一人のママを永久に失つてしまつた。
>お前たちは生まれると間もなく、
>生命に一番大事な養分を奪はれてしまつたのだ。
>お前たちの人生は既に暗いのだ」。

人は誰かを勇気付けたり、元気付けるときに
「大丈夫」という言葉を使う
それはわたしはいいことだと思っている

生きていれば先はいつでも何があるかわからない
大丈夫かもしれないし、大丈夫ではないかもしれない
そんなことはその時点ではわからない
立っている時点では
わからなくても、大丈夫ということが気休めになるときもあります

でも有島はそんなとき、
これからあるだろう苦難の道を説く
あるかも知れない可能性を説く
悲観ではなく、その覚悟を説く
そして現在たっている自分の状況を説く
不用意に大丈夫といってそれが大丈夫でない場合がもちろんある
だから言わない、言えない

自分の子供たちは今、悲しみにうちひがれているときだろうに
それを説くのです

それはどんなに辛いことだろう
しかし愛する子供たちに「虚」は教えない

ここで慰めるのも優しさだし、
そうせず有島の方法をとるのも優しさだと思う
虚でも優しい言葉がほしいときがある
それに慰められて今後生きる力になるときもある

しかし有島はそれを選ばない
この自分の中の誠実さ
辛くてもそこを貫くためには逃げられない有島の誠実さと
他人に対する優しさが彼を現世に生き難くしていたと思う

有島は決して勝手な人間ではないです
その活動をみればどれだけ他に尽くそうとしているかわかります

でも自分の誠実さを押し通して、他人に傷を与える場合がある
ここもアンビバレンツです
有島はそれをしっかと認識し、逃げずに見つめ、
自分もその傷を背負うのです

この、地球を救いたいという思いは、キリスト教で矛盾する
もともと宗教とはなんらかの矛盾を含んでいるが、
彼が傾倒したキリスト教も彼の中の矛盾を大きくするものだった
ここは省略しますが、
一度はその宗教に傾倒しており、後に離れたキリスト教

キリスト教では自殺はご法度、姦淫もご法度
しかし有島は、
十戒に含まれている禁をふたつも犯しています

これだけ誠実な彼がその訓えにそむき最期を選択したことに
大変深い意味があるとわたしは思う

後に心中する秋子との出会いで、彼は秋子に想いを寄せるようになります
このとき有島は奥様を亡くされてますが、秋子には伴侶が居る
ここまでのひととなりで
有島がどんな想いで秋子に自分の胸の内を告げたのか
その覚悟は想像に難くないです

誰かを愛して愛して愛しぬいた、という作家では、
わたしは高村光太郎と有島武郎をいつも思い浮かべますが、
このふたりは実はとても違う

高村はちえこの器が必要であり、
ちえこ自身にものすごい自分の理想を投影をしていた
彼のように愛されるには、ちえこの力が必要なのです
彼はちえこの人格というよりも、
ちえこの器を愛していたようにわたしは感じます
でも愛していたと感じます
ただ千恵子のように愛されることは辛く感じることもあるかもしれない

高村は静かな狂気であり、
なんて自分勝手な男だと
しかし、ちえこを愛していた、可愛がっていたのは真実
そしてそれをちえこは受け止めることができた

高村光太郎観についての過去記事 
ぼろぼろのじちょうかちょう ~放浪記5~


有島は、自己陶酔ではないのです
秋子の魂を愛し、そして秋子を無理に奪うようなことはしない
しかし、自分の気持ちを伝え、
すべてを捨てても秋子を受け入れたいと告げる

大学時代、ただの友達と心中しようとした有島の言葉には
口だけではない実像がある
全身全霊を賭けた、秋子への想いに同化し、
一緒に死を選ぶこととなります


しかし
この死さえも悲観ではないのです

有島は矛盾を抱えたまま生き続けて、
自分を解き放てる場所、相手、その答えを探していました
解放
自分の魂を解放し、生まれ出悩みを還す場所
それが秋子であり、
あの最期の場所に選んだ軽井沢の浄月荘なのです

有島武郎終焉地碑

o0600045010165812830.jpg

o0600045010165812897.jpg

(画像はnadaさんからお借りしました)


この写真をみたときに、
自分の中で書けなかった部分がぶわっとあふれ出ました

この地を選んだんだ
自分の魂に寄り添ってくれる相手を見つけて、この地を選んだんだ

死にたい、生きるのが辛い
そういうのではない

魂を解放する場所に…
ここを選んだんだ…

と、そんな思いがわきあがりました


彼の遺書にはこう書いてあります

「…僕はこの挙を少しも悔ゐず唯十全の満足の中にある。
 秋子も亦同様。…
 山荘の夜は一時を過ぎた。
 雨がひどく降ってゐる。
 私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら
 最後のいとなみをしてゐる。
 森厳だとか悲壮だとかいへばいへる光景だが、
 実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
 愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった。
 恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。」

わたしはこの遺書の、「秋子も亦同様」と言い切れる部分に、
特に感じるものがあります
関連記事「亦同様

彼は還っていったのです
自分の魂が、自分の魂のままでいられる、
戯れる幼子に
愛するものと一緒に

彼らの死骸は確かに腐乱し、6月のはじめにこの遺書を残し逝ってから
約一ヵ月後に発見されています
情死
と言われますが、わたしは解放だと思っています

それは人それぞれ感じるのでしょう
これを姦淫して自殺
ととる人ももちろんいるでしょう
わたしは、解放だと思います

そして彼のことを思うと涙が出るのに、悲しくはないのです
この涙は説明はできません
ただ悲しくはない

有島のような生き方をしたいとか
有島にシンパシーを感じているわけでもない
わたしと有島は遠いところにある

でも
いつも彼のことを考えると悲しくない涙が出ます



この記事を書くにあたって、リクエスト(しかも半年くらい前の)に応えて
現地の写真を提供してくださったnadaさんに感謝の意を表します
本当にありがとうございました



※ 2009.04.14  

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COMMENT

はろぅ[e:819]

お引っ越し頑張ってる!!
偉ぃョ
この写真。。
最初みたとき穏やかで静かで。。
とてもぃぃ写真だと思ったの
ぷサンはこぅぃぅの書く時生き生きしてるょネ
の〜〜〜クイズのときは投げやりだょ( ´艸`)
けぃこネ〜今日からしばらくオーロラリベンジなのョ!!
海外からみたらまた文字化けしちゃぅかナ?
気がかりはソコw

| けぃこ | 2012/01/12 12:04 | URL | >> EDIT

けいこちゃん

> お引っ越し頑張ってる!!
> 偉ぃョ

がんばるんば~


> この写真。。
> 最初みたとき穏やかで静かで。。
> とてもぃぃ写真だと思ったの

いい写真だよね
だいすき


> ぷサンはこぅぃぅの書く時生き生きしてるょネ
> の〜〜〜クイズのときは投げやりだょ( ´艸`)

記録ダシマス
ギギ…


> けぃこネ〜今日からしばらくオーロラリベンジなのョ!!

まじで~?
なんでそんなにそこ好きなの
旭川も似たような寒さだよ
オーロラはみれないけど
だからダメなんですねそうですね


> 海外からみたらまた文字化けしちゃぅかナ?
> 気がかりはソコw

どーだろね
知らんがなw

| おくやぷ | 2012/01/13 09:20 | URL | >> EDIT















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