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続 百年の孤独

失明しても嗅覚によって家のもの全ての配置を記憶し、

声によって人を識別し、誰にも眼が見えていないことを知られなかったほど意識の冴えきったウルスラに、

失明の中で深まっていった洞察力によって、あらゆるものへの敬意が目覚めた



自分が求める奔放で大胆な心を持った人間が

自分とは血の繋がりはないが家の中で育て、

とうに老いて廃人のようになってしまったレベーカであったことに気付き、

悔やんでその名前をよく口にするようになった



それを見た家の者たちはウルスラの頭がおかしくなり、もうろくしたと言うようになる



ウルスラは100歳を越える年月の中で時間の移り変わりとともに

人の心も移り変わっていったことを神に嘆く



「疑問を繰り返していくうちに、よその者たちを真似て思いっきり羽目を外し、

一瞬でもいいからあきらめなどというものを捨て、

忍従の100年のあいだ喉の奥に押し込んできた無数の下品な言葉を

その胸の底から引きずり上げたいという

これまで何度もそう思いながら、

そのたびに抑えてきた反抗をこころみたいという激しい欲求にとりつかれた」



…という感じの文のあとにウルスラは



「ちくしょう!」と叫ぶ




この孤独はわかりえないし

わかってもらう気がない

だからこそ、この中で気狂いとして扱われる




「ちくしょう!」と叫ぶのを聞いてびっくりし、

蠍に刺されたと思った娘が



「どこ?」



ときくと、ウルスラは「どこって、何が?」と聞き返す



娘に「蠍よ!」と言われ、そして自分の胸を指して言った



「それなら、ここだよ」




そう蠍は胸の中にいるのだ

ゆえに他人の目には見えない
この胸を刺すものは他の者の目には写らない



それは痛みを自分から明かさなければまったくもって気づかれないということでもある




自分の琴線に触れるものなどに共通して見られる泣き所っていうのは、

ならぬ忍耐するが忍耐という不可能を可能にさせようとする時に

人間が放つパワーと、諦めの先にずっと遠くに視線を定めている部分だ



そういう人物たちがああだこうだと全部説明して人の理解を求めようとしたりしないため、

人の前にはありがちで表面的な部分しか現れてこない



その建前が表面的なら表面的なほど、

むしろ全てを飲み込もうとしている壮絶な覚悟が感じられるような気がする




覚悟、覚悟だ



覚悟見せられると感動する



共感させようという気満々で嬉しいとか悲しいとやられてもフーンて感じ



おめーら関係ねーんだよ俺はやるんだよっていう覚悟




揺さぶられるときはそんなときだな




なんていま

ふと思いながら読み進める




まだ終わらん



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