岳 -ガク-

念願の「岳」を観た
初日のレイト
なかなか入っている
客層は若いおねーさんから還暦すぎた方まで
わたしはちなみに、
原作ファン層、山みたい層です
観る前に、フラットな気持ちで観よう、と
わざわざ決意をした
例えば
話の設定、エピソード
もろもろ相違があってもそこは映画を初めて観た感じでいきたい
まあつまり防御策です
奥穂高、西穂高
ああ山はいいね
アルプスってなんてずっとみていたくなるんだろう
山の景色が出るたびにこう思う
その中で人間ドラマが展開される
最初にひっかかったのは三歩のすごさを示すセリフ
要救助者がクレバスに落ちてはさまり、
その場所までいって救助隊が救助するのには、時間的猶予がなかった
要救助者の生存の可能性という意味で
そこで
「あいつがいる」
あの男がいる
島崎三歩がいる
…とつぶやく長野県警山岳遭難救助隊のチーフ、野田(佐々木くらのすけ)
というところから映画は動き出す
救助隊よりも先に要救助者を助ける三歩
掴みはOKだ
そこで救助隊の一員、阿久津がでかい声でこう言う
「ほんとに助けちゃったよ!」
要救の前であんなでかい声で
たすけちゃったよ!ってイウカネ? あくつ
あくつだからか?
小声でやればまだ納得
わかりやすく三歩のすごさを表現しようとして軽率な演出じゃ?
山岳救助の方々をさげないでね
さげないでも三歩をあげることできるでしょ
最初にひっかかったのは…と書いてこの最初がひっかかってるなら
かなり最初からひっかかってるじゃん
そんな感じでひっかかりながら進んでいった
ああ山はいいねえ
ここは上高地ね
ああーいいわー
山荘のおばちゃんもいい
山の映像が出てくると顔がほころぶ
しかしこれ
人間ドラマの部分になるとまたちょっとひっかかってくる
山岳救助の人たちはプロフェッショナルだよね
実らなければいい努力を日々し続け、不測事態に備えている
その中で久美ちゃんは命令違反しすぎじゃね?
組織ってこんなもんじゃなかろ
技術や心構え
だんだんできてゆくものもある
でもまず、警察や消防や自衛隊などは、命令を遵守することを叩き込まれないかい
基礎の基礎では
できるできるってできないのが一番困る
野田チーフがその部分の、
抑える、堪える、二次遭難を防ぐための救助を打ち切る決断をする
この苦渋の決断を匂わせるのがチーフである野田が一手に引き受けていたわけだけども
組織の苦悩という部分
原作どうこうって話じゃなくて、
映画としての役柄としてわかってなさすぎな感を受けた
(そこは成長物語を主にしていると捉えまして補い)
セルフィッシュな行動が人を救うときもある
単独先行じゃなければ救えない時もある
でも組織は勝手な行動をできないものだ
ましてや、実力のない者に人は救えない
気持ちだけじゃダメ
実力があっても山は厳しい
死がそばに存在している
そこを超えるのが三歩なんだよ
彼は山にすみ、山に生きる、
組織の一員じゃない山岳ボランティアだから
戯曲や物語の手法に、
デウス・エクス・マキナというものがある
これは「機械仕掛けの神」という意味
もうだめだ
絶対絶命だ
そんなときに、救いの手が現れて、
一気に終息に向かう
このカタルシスを違和感なく発揮させるには世界観が重要となる
必然性のない、あまりに唐突な、もしくは運だけに頼ったものには
納得させる力がない
最近でいうと、
トイストーリー3の焼却場のシーン、
キックアスの、HGが乗り込んだ後のキックアス登場シーン、
あそこはまさしく、
デウスエクスマキーナ!と叫んでしまうくらいのカタルシスだ
その力を発揮するにはそれなりに伏線をはり、
世界観に納得していないとわたしはただのご都合主義に感じる
この三歩という人物
まったくマキーナ(機械)ではないのだが、そんな気分になるヤツだ
三歩なら
三歩ならなんとかしてくれる
あいつならきっと助けてくれる
でも、この映画は、
三歩のすごさが伝わらない
言葉でしか伝わらない
最初にひっかかったというセリフ
ここでもそうだが、周りの人間があいつはすごいよ、と話す
それが目にみえまへん
スーパーはスーパーなんだけど、
なんでスーパーなのかって点が納得しづらい
これだけだと、いちゃもんつけてるだけみたいなんで詳しくその理由を
いくつかのエピソードがはいっているので、
三歩が救助する場面がたびたびみられる
あの広い山で
ひどい吹雪の中で
雪崩にうもれながら
なぜ三歩は人を助けられるのか
(あの雪崩では通常助からないと思いますが…ここは映画演出)
例えば、
スノボで遭難した人を探すときに、
三歩は、
2人のうちどっちがうまかった?とか
右と左、どっちのターンが得意だった?とか
具体的にたずねるのだ
そういった視点、観点から遭難者の足跡を辿る
当てずっぽうの勘じゃない
luckじゃない
山と共に生きてきて、山を登る人をみてきた彼の積み重ねたもの
机上の空論じゃないしっかりと積まれた経験値
世界の山々にアタックしてきた技術と知識
それが活かされて
体力満々のあの元気が支えて
そしてみんなの心に、
彼ならやってくれる
という気持ちが生まれる
この映画だけ観るとですね、
そのノウハウがあるんだかないんだか
運でみつけてるんだかなんなんだか
とにかくすごいヤツだな~ってみんな言うからそうなんだろうけど?
あまり伝わらなかった
三歩はきっとやってくれる…かも?みたいな疑問形
むしろ、久美ちゃん(長澤まさみ)のが
おーがんばってるな、と
三歩役の小栗さんもとてもがんばっていると思うんだよ
ロッククライムするときの腕とか指先
ふくらはぎを見ると、訓練したんだろうなと思う
雪焼けした顔
これは小栗さんも長澤さんも
がんばってることって必ず報われるか?
そんなことはない
厳しいものにトライしたな、とは思う
それ以上に納得させるものがなかった
山の険しい道を軽々あるく軽快感
ならば悪天候でも、最悪の状況でも
三歩なら助けてくれるだろう
…とは思えなかったね
小栗さんの足取り
久美ちゃんのエピソードがかなり加えられて、
映画では主役は久美ちゃんでないかいと思う
この映画特有の設定をいれるのも悪くない
ならばこの世界観に納得させてほしい
冒頭で、救助隊のみんなが三歩の話をいろいろする
久美ちゃんの歓迎会
酒を交わしながら三歩の話をする
あいつは山バカだ
山にすんでいる
住所不定
住所は山
山だいすき
すごいやつだよ
それが映像で伝わんない
なんで伝わんないかというと、
こういう説明セリフだけで、実際救助するシーンは見つけたところまでやって、
すぐに救助された後のシーンに切り替わるから
伝わらない詳しい理由とはこれです
三歩の救助シーンを盛り込んでいるのに、
シーンの切り替えで、その後…という展開が多いので、
あれ?救助したんだいつの間に
って感じを受ける
そのすごいシーンを撮るのは確かに大変だろう
要救助者のところまで辿り着くことよりも、
その後、要救助者をつれて帰ることのほうがもっと大変で
そこがポカっと切られてる救助シーンが多い
辿り着いて、さてその後…麓まで着きました、病院に収容されました
これを繰り返す
冒頭で救助隊の面々に言わせた三歩の特性
それがセリフのみで終わってしまっているように感じる
ここは原作読んでる読んでないは関係ない
映像ですごいと思わせてほしいと言うのは原作未読でも思うこと
そんな男だ、と冒頭で説明してるんだからね
※ 追記
それと、原作を読んでなくて映画だけみても疑問に思っただろうこと
特に感じたもう一か所
救助隊の描き方に疑問がある
この作品の舞台は長野
長野の救助隊と言えば、日本最高峰に位置する救助隊だと思う
その他、この付近の、北アルプス、南アルプス、中央アルプス、谷川岳
ここら付近を担当する救助隊の方々は、図らずも経験値を積んでしまう
要請件数が桁違いだから
自分は山もののドキュメンタリーが好きで、
あと、雪崩の威力のドキュメントや青少年科学館などの雪崩体験なども
好きでみにいったり体験したりしている(ちなみに体験施設の名は「ナダレンジャー」おいw)
関連記事→「ワンダー×ワンダー」
他にも、「山岳レスキュー隊、出動せよ!」なども、
一年間の密着取材を放送したすぐれたドキュメントだ
■内容
山岳遭難が増えている。その実態は登山者自らが応急処置すべき軽傷や、
単なる疲れでSOSするケース。中には救助ヘリをタクシーがわりに使うケースも…。
カメラは日本一遭難事故が多い長野の山を守る県警山岳遭難救助隊に1年間密着。
お手軽登山が引き起こす問題点を探る。
このように、他の地域とは桁違いの厳しさ、件数の多さの中で、
切磋琢磨、技術研鑽されてゆく救助隊の、「技術面」じゃなくて「意識面」
そこの描き方がいやなのだ
隊長が救助の打ち切りを判断する状況は少なくないだろう
新人とはいえ、技術はなくとも隊長の命令に逆らい過ぎる
全体的に落ち着き、冷静さがない
三歩が雪崩直撃で生きていることもそう
(これは完全に映画設定、辻褄があわなくなっているのは全て映画独自エピだ)
隊員が隊長の判断に疑問を持つこともそう
(ここも映画の独自設定)
原作にないエピソードをいれて、そこが疑問点に直結している
しかし、岳じゃない、と思えば目をつぶれる部分でもある
ぬるいはぬるいが
野田チーフも表面的に熱すぎ
奥に熱いものを秘めながら、冷静にことを運ぶ
その判断は、チーフとの信頼関係があれば逆らうことはないと思う
判断する、ということは、打ち切ることによる自責の念をチーフが負ってくれてると言うこと
そんな信頼関係がみえにくい
※ 追記おわり
三歩はデリカシーがないわけでなく(ないときもある)
いろんなこと乗り越えてあのストレートな言葉がでてくる
言うべき言葉じゃないものは出てこない
ほんとにほしい言葉をいう
そこが上滑っちゃっている
小栗さんの三歩はどうもシチーボーイで
無邪気を演じているように感じる
うがった見方だろうか
小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ
長野に縁の深い、島崎藤村の詩の一節である
これをこの映画の三歩に感じない
岳をみてなにを思うか
わたしは岳を思い出す時になにを一番おもうかというと、
「また山においでよ」
これなんだよね
ここは人によって、
生きて帰ろうだったり
山に捨てていけないものはゴミと命だったり←映画でプッシュでした
まあいろいろでいいと思う
テーマとは…と大きく出るんじゃなくてね、
岳を思うとき、ふっとほころんで
「また山においでよ」って言われている気分になる
これも、この言葉の後ろにはたくさん背負っているものがある
毎年出る遭難者
準備が万端じゃないために起こる事故もある
万端にしてても起こる事故もある
要救の人たちは、こんなに迷惑かけてすみませんという気持ちになる
もちろんいろんな人がいるからそればかりではなくて、
救助隊を逆恨みするような状況もある
命を懸けて救助に従事しても、報われることばかりじゃない
待っている者の中には、
山に登ることを心配しておかしくなりそうになってる人もいる
怪我をする
命を落とす
そんな可能性が無いものじゃない
山岳登山
それを三歩はずっとみてきて
自分の背中で死んだ人を何人も担いできて
それでも言うんだ
「また山においでよ」って
父親が山で死んでひとりになってしまったナオタにも言うんだ
「あの頂上でオトコメシを食べよう」って
それは自己悲哀にくれずに救助をこなし、
それでも笑顔を放つ三歩が
いままでに様々なものを受け入れてきた過程があって
初めて言葉に力が宿る
それが
かるっ
軽い
一応、山にまたおいでよっていうセリフははいっている
どうにもバックボーンが薄くてなかなかズンとこない
ああでも山はいい
なんて素敵な映像
最後の映像もいいね
槍がみえる
もうさ、山だけ2時間映しててもいいよわたしは
そういうわけで、山は100点
山に助けられてる映画
評価は普通
山があるからプラス

久美ちゃんがGショック携帯の赤を使っていた
おっそろーおっそろー
わたしもGの赤です( ´∀`)
そりゃ山じゃあれだしょ
あれしかないっしょ
三歩なら緑が合いそう
でも三歩は携帯もってないもんね!無線はあるがw
映画だけだと三歩が何で生計を立てているのかわからないという人が多い
ですよねー
三歩はお金を必要とする生活をしてません
本当に山に住んでます
ほんとに
テレビもネットも当然ない
必要ない
無線はあるがw
テントで寝起きすることもあるし、
冬は岩陰にイグルーで過ごし
ストーブなども置いて
タテアナ式住居的生活をしてます
で、
お姉さんもいます
たまに会います(上田市で)
どうしてもお金が必要なときは、
街におりてバイトをしたり←高所が平気な特性を活かしビルの窓ふき
その他もろもろバイト
山荘の修理や
山岳救助の手当←ボランティアの方々に支給されるもの
ただし、依頼されないで勝手に救助にいくときもあるので必ずしもいつも貰ってない
お金が必要なとき←コーヒー豆が切れそうなとき
でも、豆が切れるってことは要救の出動が少ないということ
だからお金が切れそうでもニコニコ
あとは、山に訪れる人々が
三歩にあいたい
三歩にあれを食べさせてあげよう←おみやげ
三歩はこれ使うかな←日常生活品
そんなこんなでまかなえちゃってます
ありうる話だと思います
漫画が原作だからこんなに突っ込みどころが…というならば読んでみて
突っ込みどころは映画の方が多い
というよりは
映画が突っ込みどころあるつくりなんだよ
自分の目で確かめる
それが一番確かなこと
それでも所詮漫画と思えば、それはそれぞれの感性の違い
本当に読んで言うなら、その意見にはまったく異論はありません
- 関連記事
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こんばんは
おくやぷさん、こんばんは!
原作未読なんでなんなんですが、映画は三歩の、というより、久美ちゃんの物語だなと思いました。
人を救いたいという思いは強くて、でもそれが上滑っちゃって、山を前にしてどうしようもないほどの無力さを感じてしまう。
それでも、それに向き合えるか、どうかというのがたぶんプロなのでしょう。
それに久美が気づいていく過程が描かれ、そこにジンときてしまいました。
| はらやん | 2011/05/08 18:57 | URL |